この項目では、俳文学者の志田義秀について説明しています。上杉氏の家臣である戦国武将については「志駄義秀」をご覧ください。 志田 義秀(しだ ぎしゅう、1876年7月27日[1] - 1946年1月17日[2])は、日本の国文学者・俳人。学位は、文学博士(1937年)(学位論文「問題の点を主としたる芭蕉の伝記の研究」)。元東洋大学教授。連歌俳諧研究、説話研究、歌謡研究、辞典の編纂など、多方面に業績を残した[2]。 富山県上新川郡出身[2]。旧姓は藤井[1]。俳号は素琴[1]。富山中学校[要出典]、第四高等学校を経て[要出典]、1903年東京帝国大学文学部国文科卒[2]。第六高等学校教授[1][2]、1925年旧制成蹊高等学校教授[2]、東洋大学教授。1937年「問題の点を主としたる芭蕉の伝記の研究」で文学博士の学位を取得[2]。日本で初めて俳文学によって文学博士の学位を取得した[要出典]。俳