山本兼一 織田信長の頃からバブルが始まっていました。南蛮人のポルトガル人らが日本にやってきた目的の1つは、銀が目当てでした。それ以前には中国の銀が有名でしたが、中国での採掘量が減少し始めた頃でした。 そこに日本で生野に大きな銀の鉱脈が見つかり、世界遺産として有名になったあの石見銀山の開発が本格的に始まりました。銀の生産量が急激に増えたことで、バブルが起こったのです。そういう意味では、茶の湯はバブルの申し子です。1つの茶入れが3000貫の値がつくなど、あり得ないことです。 この時代は町人というか、富裕な町民文化が育ちました。堺の貿易、銀のバブルで富裕な町人たちが増えてきましたから。利休も豊かな家で、経済的には上の中、少なくとも上の下ぐらいの階層にはいました。 ―― 急速に豊かになることで、人間の欲も前面に出てくる。 山本 この時代は上から抑えつけるようなものがなかった。江戸時代と比べたら、絶