2017.04.18 Photo by Takashi Hososhima – Sakura sky(2011) / Adapted. 今から80年ほど前、肥沼信次(こえぬま・のぶつぐ)という1人の日本人医師が研究のためにドイツへ旅立ちました。 現在、ドイツ郊外の都市リーツェンの市庁舎前には彼をたたえる記念銘板が飾られ、同市で開催される「肥沼記念杯三国柔道大会」には毎年200人余りの青少年が参加しています。 日本人である彼が異国の地で尊敬を集めているのは、なぜなのでしょうか。 彼の生涯を紹介しつつ、その理由を紐解いていきます。 「数学の鬼」と呼ばれた青年 1908年10月9日、東京都八王子市で医院を営む肥沼梅三郎医師の家に、男の子が誕生しました。信次と名付けられたその子は、医院の後継ぎとして厳しく育てられることになります。肥沼家には信次の後に弟が2人、妹が1人生まれましたが、家にいるときは
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