先日の『魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」』記事がそれなりに楽しんで貰えたようなので、言葉足らずだった部分を付け足しながら、キリスト教、特に僕がいくらかでも学んだことのあるカトリックの考え方を元にして、僕なりに補足してみよう。 日本では一般に理性と宗教は相容れないものだと考えられている。科学と宗教と言い換えてもいい。信仰はあり得ないものをあえて信じる理不尽かつ非科学的な行為で、理性とかちょっとないわ。そのあたりが日本人にとって、キリスト教を理解する最大の枷だ。 強弁してしまおう。彼らにとって理性的とは、まず論理的合理的な筋道を立てて思考することであり、それが事実であるか否かの判断は二の次となる。たとえ「死んだ男が生き返る」というヨタ話でも、それが論理的合理的に説明できれば、それは理性的なのだ。「神さまは存在する」という仮説のもとに、2000年かけて積み上げられた屁理屈の山がカ