〈遊〉の三要素 人は〈遊ぶ〉時、特別な存在になる。〈遊ぶ〉行為がそうさせるのではなく、その〈遊ぶ〉主体がすでに特別な存在なのである。その主体が日常態ではないと感じるのは、彼らを特別な存在だと認めているわたしたちの内面である。その何らかの力を持つ主体は、古代においては神的存在として認められていたのであった。その力は一元的なものではなく、時や場によってさまざまに現れる。ヒジリが日知りであったように、能力を持つものは聖なる存在として〈遊ぶ〉主体であったが、その力が何であるかは一概にはいえないだろう。しかし〈遊〉がどのような性格を持っていたのかは、「アソブ」に当てられた漢字と、「遊」に当てられた訓から推察することはできる。 「アソブ」は、「遊」・「敖」・「遨」・「遵」・「嬉」・「淫」・「婬」であった。 これらは、神威を顕す「遊」・「敖」・「遨」、神事にしたがい神を喜ばす「遵」・「嬉」、神婚の巫女の