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認知科学に関するharuharu36のブックマーク (2)

  • Thinking about cognitive science and philosophy in Japan

    単なるアイデアやメモの置き場。あくまで思いつきを適当に書いてるだけであり、記載の情報は不確かなので注意 認識論(どのように命題が真であると分かるのか)に関しては大きく二つの立場がある。その一つは対応説であり、語と物に対応関係があればその命題は真であるとされる。これは、それが正しいかどうかは見れば分かる!という常識的な直観に合致した分かりやすい考え方であり、有名なところでは論理実証主義者はこの考え方を採用していた。しかし、この考え方には大きな欠点があり、それはセラーズによって所与の神話だとして批判されている。つまり、外から与えられた感覚だけによっては命題が真であるかは分かり得ないという。例えば「これは赤い」という命題が真であるかどうかは、示された対象を目で確かめれば済む話のはずである。だがそうはいかない。その色が赤であるかどうかというのは感覚からだけでは確かめようがない。判断する側に「赤とは

  • 蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学- 認知革命の意義とはなんだったのか

    現実観察から得た初期条件(周辺条件)をモデルに入力すると、一定の出力変数が得られて、それが現実観察から得られたデータに合致する場合に、モデルは「現実適合的」だと評価される。現実適合的なモデルは、現実の説明・予測・制御に用いることができる。 言うまでもなくモデルビルディンクは「真理の言葉」ではない。モデルは現実適合性という機能の高低によって──すなわち「機能の言葉」によって──、相対的に評価される。そこでは同一の説明力(という機能)を持つ競合的なモデルの存在が予め想定されている。 この説明力が、説明や予測の一意性──因果的決定──によって評価されるのが自然科学的な因果モデルだが、これに対しルーマンは、複雑な社会システムでは因果モデルの追求は不毛だとし、認識利得を機能的等価項目の開示に置く機能モデルを提唱したのだった。 社会学からの全体性の脱落に抗して、いま何が必要なのか【モデルビルディングと

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