2010.10.24 ようやくブクマページ追加 2010.10.24 ギャラリー大幅改築 2010.10.23 気まぐれからトップ絵を更新 2010.05.29 ギャラリーP4_Illustに1点追加 2010.05.06 ギャラリーCOSに2点追加 2010.03.21 infoページ更新 2010.03.05 ギャラリーOtherIllustに1点追加 2010.02.07 プロフィールページ&インフォページを作成 2010.02.05 ギャラリーページを作成 2010.02.02 サイトオープン
★――…学生時代には、もうマンガや文章は描き始めていたのですか? 著書『小人たちが騒ぐので』の中で、学生時代の「ハズカシ〜っ」自作の詩集を披露していらっしゃいますが、ほかにも若気の至り的な作品があれば、教えてください。 川原:ここだけの話、実はその詩集「白の終焉」と対をなす、「黒の発動」とゆータイトルの詩集が存在しました。この二つは例えて言うなら、静と動、陰と陽、キュウリとナスビといった、対照的イメージに縁取られた作品集と申せましょう。ファンタスティックでとんちんかんな白に対し、黒はダークな色調と、寒い世界観がステキなあんぽんたんであります。何年も前に燃えるゴミに出して正解。燃えろ、完膚無きまでに! すべて焼き尽くしてしまえ、鹿児島市の焼却炉!早く死ねばいいのに自分。 ★――死なずにまだまだ作品を描いていただかないと困ります…。さぞかし想像力豊かで、多感な少女時代だったのだろうとお見受けし
2010年01月17日 さすが野中英次先生www 「だぶるじぇい」1巻 おまけのカバー裏が凄い事に カテゴリ:漫画の話題|マガジン系|コメント( 0 ) <だぶるじぇいとは> 「だぶるじぇい」(Double J)は、原作:野中英次、漫画:亜桜まるによる日本の漫画作品。『週刊少年マガジン』009年34号から連載中。サブタイトルの中に必ず「伝統」の言葉が入る。野中英次と亜桜まるのコラボレーション漫画。キャッチ・コピーは「のほほんゆかいガールズ(+男子1名)マンガ」、「合体事故マンガ」。 「だぶるじぇい」のカバーを外したら思わず吹いたので。 ▼「だぶるじぇい」カバー▲ 亜桜先生の描いたカバー表 ↓ 野中先生の描いたカバー裏 いつもやる気の無い野中先生が輝いて見える… 〜2ch本スレでも話題に〜 204 名前:名無しさん 投稿日:2010/01/15(金) 15:00:08 ID:
前の記事 コンピューターをCPUから手作り:2506カ所にワイヤーを巻いた『BMOW』 日本のマンガを集めていた米国人、児童ポルノ禁止法違反で有罪に 2009年5月29日 David Kravets Photo: EverJean 児童の性的虐待および獣姦の様子を描写した日本のマンガ本を輸入・所持し、わいせつ物を所持していたとして起訴されていた米国のコミック本コレクターが、有罪を認めた。 弁護士がマンガ本の「大量コレクター」と説明する39歳の事務員Christopher Handley容疑者は5月20日(米国時間)、わいせつ物の郵送を受け、「児童の性的虐待を視覚的に表現したものを所持」していたと認めた。この他の3件の起訴については、検察当局との司法取引において棄却された。 この事件は、2006年に税関職員が、Handley容疑者宛ての日本からの小包を開梱したことから始まった。小包の中に入っ
散歩マンガ・・・この地味さがたまらない!! こんにちは、J君です。この世で最も奥が深く老若男女が楽しめるアウトドアスポーツといえば、ズバリ「散歩」ではないかと思っている今日この頃です。肉体年齢が60代、筋金入りのインドア派を自称するJ君でも可能なスポーツ、それが散歩。散歩 イズ ビューティフル。まあ・・・スポーツかどうかは別途議論が必要なところですが。 本日はそんな「散歩」がテーマのマンガ「散歩もの」をご紹介します。「散歩」がテーマのマンガとか酔狂すぎる。どうやってオチをつけるんだ?と考える方もいらっしゃるかと思うのですが、実は本作品は「孤独のグルメ」の名コンビ、谷口ジロー先生と久住昌之先生の作品です。当然のごとくオチはありません。 「散歩もの」は通常のマンガ雑誌ではなく「通販生活」という雑誌に掲載されていたマンガです。そういえば「孤独のグルメ」もパンジャという雑誌に掲載されていました。掲
週刊少年ジャンプに「よほど劇的なことがないとデビューはムリ」と断言され、その他の編集部でもことごとく「昔のサンデーに載ってるような絵柄」「展開の遅さは致命的」と言われ撃沈していた漫画家が、その後に品川区議会議員補欠選挙で初当選し、政治家になっていたことが判明した。 その漫画家とは安藤泰作(あんどうたいさく)氏で、ペンネームを庵堂田吾作として2001~2004年にかけて編集部に漫画原稿を持ち込みをしていた(当時30歳前後)。明確にはプロの漫画家になっていないので漫画家志望者ということになるのだが、どの編集部に原稿を持っていっても掲載に結びつかなかったようだ。 その持ち込みのようすはすべて庵堂田吾作公式サイトに掲載されており、ジャンプやチャンピオン、コミックビーム、ヤングアニマルなどに持ち込みしたときのようすが語られている。漫画に関しては多くの編集部で酷評されており、脈があったコミックバンチも
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