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考え方に関するhatashのブックマーク (2)

  • 福島で暮らすということ~小児科医として思うこと - ひまわりの種

    3・11から3ヶ月が過ぎようとしている。 もう何年も生きてきたような気持ちだ。 最初の数週間は、不安を押し殺しながら、夢中で過ごしたように思う。 水がない。 電気がない。 ガスもこない。 ガソリンもない。 料も少なくなった。 生活物資も滞ってきた。 でも、被災した方々に比べたらはるかにましだ。 わたしたちがおろおろして、ここでの生活を投げ出したらどうなる。 患者さんは、妊婦さんは、お母さんは、赤ちゃんは、どうなる。 毎日、そんな思いで過ごした。 日々、刻々と変わる放射線レベルに、不安になる親御さんがたくさんいた。 わたしたちなりに、必死に情報を集め、その時に正しいと思う情報を伝えてきた。 今もその考えは、同じだ。 4月になって、県内のほとんどの学校が再開した。 遅れて卒業式をやった学校もあった。 ・・・・・ここまでは、よかった。 4月中旬、文科省の「年間20mSv」という基準が発表されて

    福島で暮らすということ~小児科医として思うこと - ひまわりの種
  • 16歳で起業して4年間やってきて思うこと | もっちブログ

    19歳、最後の記事です。 きっと誰にでもある、 でもなかなか思い出せない種類の、小さなエピソード 10年くらい前、僕が小学生5年生か6年生のときですが、当時まわりで流行っていた遊戯王カードを十数枚ほどランダムに寄せ集めて封をしたオリジナルパックを、近所や学校の友だちに200円か300円で売っていました。レアカードも入れてほぼ均等に妥当なレートになるよう商品設計を心がけていましたが、たまに大当たり(紙切れ1枚で例えば3000円のレアリティがあるものも結構多く存在します)が出るので、商品としてけっこう魅力のあるものでした。今思えば、すでにあるものを再編成して付加価値をつけて売るという、僕の人生初めてのビジネスでした。小学校の卒業文集では、学年で一番足が速くてスポーツ万能な親友が「プロ野球選手になって1億円で契約する」と書いていた夢のとなりに、僕は「年商5億の会社をつくる」と書いていました。正直

    hatash
    hatash 2011/02/11
    これだけの話が20歳目前の人から出るというのがとんでもない。そして私は30歳になった。でも、尊敬はするけど、私がしたい生き方の対極だから、卑下はしない。
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