出生から修学期 1926年、高野山真言宗僧侶の父・上田天瑞の長男として東京都で生まれた[1]。横浜市立間門小学校[2]、神奈川県立横浜第一中学校で学んだ。1943年に中学を卒業し、第一高等学校に入学[3]。太平洋戦争の戦局悪化により就学期間が2年短縮され、1945年3月に卒業。京都帝国大学文学部に進学したが、4月中に召集し、本土防衛の任に就いた。戦後、1946年に京都帝国大学文学部に復学。哲学科で宗教学を専攻した。1949年に同大学を卒業。 哲学者として 1954年、高野山大学専任講師に就いた。1963年に同助教授に昇格。1963年6月、京都大学教養部助教授に転じた。同1963年、マールブルク大学に学位請求論文『マイスター・エックハルト研究』を提出してPh.D.を取得。エラノス会議の後期の参加者であった。1967年より教育学科所属の助教授となり、1973年に教授昇格。1976年、学位論文『