作れる、作る、作った たまに「Namazu を作ったなんてすごいですね」と言われる。そう言われると、いつも違和感を感じる。同等のソフトウェアを作れる人ならざらにいるからだ。作れることは自体は全然すごくない。 では本当は何が評価されているのかというと、何かを作って公開し、それが比較的広く使われたことだ。作れる人はざらにいるし、同じようなものを作ってみようと考える人もそこそこいるけど、実際に作ってくれる人はなかなかいない。だから、作った人が登場するとありがたがられる。それが広く使われれば、より評価される。案外、自分ではたいしたことないと思っているものでも好評を博したりする。 文章でも同じことが言える。誰でもうすうす分かっていて、誰かが日頃から考えているようなことでも、それを書いてくれる人はなかなかいない。だから、書いた人が登場するとやっぱりみんな喜ぶ。それが広く読まれれば、より評価が高まる。読
今週のSPA!の福田和也と坪内祐三の連載対談の冒頭に、いきなりこんな見出しがデカデカと(笑)。肝となる部分を引用してみよう。 福田 ネットの文章って、最初に編集者を「ダマす」という行為を通過してないでしょう。学生によく言うんだけど、編集者1人ダマせないのに、読者をダマせるわけがない。プロを目指すんなら、原稿料にならない文章をネットにダラダラ書かないほうがいいね。ネット経由で一発当たる人もいるけど、長くやっていけるとは思えない。トラック・バックといった安い反応を求めないで、じっくり書いたほうがいいと思うんだよね。 紙媒体の「物書き-編集者」という品質管理システムを、ネットの「ブロガー-トラックバック」と対置して、長期的に見た場合、前者の方が優れているというわけですな。これはまあ、その通りでしょう。 坪内 いまでも「テレビコラムニストNo.1」と言えるナンシー関さんも、最初に「消しゴム版画家」
こういう重要な内部事情をどんどん外に向けてオープンにしていく発想が、はてなのユニークネスの中で最も不思議なところである。これは容易に真似できることではない。ある種の狂気と言ってもいい。 だいたいなぁ、ある機能を実装するのにどれだけ工数がかかったのかというようなことは秘匿すべき内容だ、というのが旧来型の常識なんだよ。 読んでいてはらはらする。 それが正直なところである。 でもそれは、そう骨髄反射してしまう僕のほうが古臭くて間違っているのだ、とあるときから考えることにした。 大きな企業そのほかが、社内の情報を外に出したがらない、秘匿にするというのにはいくつか理由があると思いますが、その主なものは、一つは自社のコアバリューが外部に漏れるのを防ぐ、つまり競争優位性のポイントやノウハウが流出してしまうのを防ぐ、ということ。もう一つは、リスク回避としての情報秘匿。何かまずい情報が流出してしまい信頼を失
id:naoyaの情報公開に関するエントリーが盛り上がっているので反応してみます。 はてなブックマーク - naoyaのはてなダイアリー - 隠さなくていいものは隠したってしょうがない 私は前のエントリーで書いたように 要約コメントを書いた中で、あまり人が知らなく、自分が詳しい、または人が関心があまり無いが自分はすごく関心があるというようなものは、はてなダイアリーのエントリーで取り上げます。 というスタンスで自分の考えを発表しています。なぜなら、そういうエントリーは自分の頭の整理になると同時に、多くの人に見てもらう可能性を増やすことで、ひょっとしたら私のエントリーをみて、よりブラッシュアップしたエントリーを書いて、トラックバックしてくれるかもしれないからです。ブラッシュアップしたエントリーは自分のためにも、人のためにもなるので一石二鳥だと。 私がP2PコミュニティのJnutella.org
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