『現代詩手帖』のふたつのアンソロジー特集を読んだ。8月号が「現代詩アンソロジー2000-2009」、同じく9月号は「現代詩アンソロジー2010-2019」であった。所収作品は、アンソロジーの常として偏りがあるのかもしれないし、不足もあるのかもしれないが、おおむね楽しく読むことができた。のではあるが、同時に掲載されている、選者4名――瀬尾育生・野村喜和夫・小池昌代・蜂飼耳――によるふたつの「討議」、すなわち「二〇〇〇年代、詩に何が起こったのか」(8月号)、「10年代から現在へ――いま、詩は」(9月号)を読むあいだ、幾度となく、あの馴れ親しんだ「嫌な気分」に襲われることにもなった。ひとことでいうなら「何度これが繰り返されるのか」という脱力感・徒労感、すべてのひとびとが記憶喪失に陥っているのではないかという感覚、である――こういった体験には俳壇であれ歌壇であれTwitterのタイムラインであれ、