考察に関するhikikomoroukanaのブックマーク (7)

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    hikikomoroukana
    hikikomoroukana 2006/12/27
    なかなか惹かれる。
  • Amazon.co.jp:柄谷 行人 『世界共和国へ』岩波新書 新赤版: 本

    Amazon.co.jp:柄谷 行人 『世界共和国へ』岩波新書 新赤版: 本
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    hikikomoroukana 2006/12/24
    読みやすく解りやすい
  • セカイ系はなぜナルシシズム的なのか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ■クロノスとカイロス 考える名無しさん 象徴界優位の空間→クロノス、想像界優位の空間→カイロス 一時期というか今でも、スローとか超早送りとかのCMとか流れてるよね。あれってたいしたことない映像でも、それなりにもつんだよね。なんでもつのかは、恐らく観察視点の解体、変更がそこにあるからだと思う。ああいう空間はカイロス的空間とか呼ばれたりしてスーパーフラットなどのオタ系評論によく出てくる。具体例ペキンパー、ジョンウー、マトリックス的スロー梶原一騎、少女漫画的な世界。 一般的にスロー空間がカイロス的とされるが、俺は盗んだバイク的な高速空間も象徴界のまなざしを加速化させ解体し、現実界よりの快楽を引き出そうとしている意味でカイロス的に含めて良いのではないかと思っている。共同幻想に対する私的幻想のようなものとして。時間、空間、重力といった認識を可能にしているクロノス空間がゆらぐときにカイロス空間は出現す

    セカイ系はなぜナルシシズム的なのか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ「歴史」は科学的に記述されないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    科学的帰納法という寛容 科学は帰納法であると言われる。帰納法とは「観察や実験を繰り返し行い、観察事実(データ)を蓄積し、たくさんの観察事実(データ)に基づいて、理論を構築する」ということ。ここで問題は、繰り返しということ。たとえば物体Aと物体Bの衝突実験のように力学の基礎実験は繰り返し(検証)が容易だろう。誰がいつやっても再現されることで、「確からしさ」が積み上げられていく。 でもその後、それにあわない結果が出る可能性は排除できない。たとえばニュートン力学は多くの人に繰り返されて、「確からしさ」が確認され、教科書にものっている。しかしそれがアインシュタインによって崩された。 科学的帰納法の有効性はここにある。「別に絶対の真実でなくても、みんなが「確からしい」と認めればよいじゃん!」という寛容さこそが、社会に活用され、成功している。 「反証可能性」という不寛容 では心理学どうだろうか。これは

    なぜ「歴史」は科学的に記述されないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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    hikikomoroukana 2006/12/19
    解りやすい
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    hikikomoroukana
    hikikomoroukana 2006/12/16
    写真ない分、よくここまで調べたと思う
  • なぜ「かわいい」が氾濫するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「東京カワイイウォーズ」 大人気のカリスマモデル“エビちゃん”。販売絶好調のファッションビル“渋谷109”。2万人近い女の子が熱狂するファッションショー“東京ガールズコレクション”…。いまファッション界で人気を集めるものに共通するのは女の子たちの「かわいい」という声だ。 製品の品質やブランドのネームバリューより、「かわいい」と感じたものをその場で消費するようになった女の子たち。そんな女の子たちが消費者代表となったファッション業界では、いま、長年の作り方や売り方を根から問い直すような変革が始まっている。アパレルのプロを排除して企画されるデザイン。年々短くなる流行サイクルに対応するための超ハイスピード生産。実際の店舗を持たず、24時間女の子の消費をキャッチするネット販売の出現…。 NHK特集 「東京カワイイウォーズ」 http://www.nhk.or.jp/special/onair/06

    なぜ「かわいい」が氾濫するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    hikikomoroukana
    hikikomoroukana 2006/12/13
    ほんと、わかりやすい
  • 「キャラ萌え」は作品の一要素ではない - 一本足の蛸

    しかし、ぼくにいわせれば、「キャラ萌え」を「抑圧」している時点で、「トータル」で作品を見る見方は阻害されているのである。 つまり、「キャラ萌え」とは作品の一要素なのだから、それを作品から排除してしまった時点で、既に「トータル」で作品を見れなくなっているのではないか。海燕氏の見解に反して、「キャラ萌え」が作品の一要素ではないことは確かだ。もちろん作品の全要素だと言いたいわけではない。「キャラ萌え」はそもそも作品の要素ではない*1。作品の要素であるところの「キャラ」に読者なり観客なりが萌える、それが「キャラ萌え」なのだから。 いま引用した箇所の少し前で海燕氏は次のように言っている。 しかし、考えてみれば「キャラ」とはどこまでもいっても「作品」の一要素なのであり、「キャラ」と「作品」をこのように対置させることはおかしいようにも思われる。「キャラ」が作品の一要素であるという主張じたいにも疑問を投げ

    「キャラ萌え」は作品の一要素ではない - 一本足の蛸
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