8月6日、GACCOHにて、インディペンデントキュレーター長谷川新による「アンインストール:インスタレーションから見る日本近現代美術史」を聴講してきた。以下に書くのは、そのレポートだ。 ※なお、これらの文章は僕の解釈が多く含まれた「要約」であり、誤植、論旨の歪曲が潜在している可能性がある。当日の講義と必ずしも一致するものではなく、また本稿はGACCOH(京都)で行われたものについて書いているので、美学校(東京)での講義内容とは大きく異なっていることも付記しておく。 本稿は、日本美術における「インスタレーション」という語が浸透するにあたって、どのような理論的・技術的な「翻訳」が見られたのかを、細かに解きほぐしてゆくというもの。 そもそもインスタレーションとは、「展覧会をインストールする」という言葉にもあるように、「設置」という現場作業を名詞化させたものだ。トーマス・ヒルシュホルンの展覧会「I
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