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宗教に関するhiro_5050のブックマーク (2)

  • 私にとってダブスタはけっこう自然な状態 - finalventの日記

    まあ、ダブスタにもよるけど。 昨日、仏教のトンデモ話をちらと書いてしまったけど、ご安心あれ、あれはトンデモだと自分でもわかっている。じゃ、それを却下しているかというと、ご懸念ごもっとも、実はこつこつと疑念を蓄積している。 単純にいうと、私は、いわゆるアカデミックな見解や社会の常識的な見解もそれなりに理解しているし、市民としてはその圏内から越えない。でも、それとは別に、けっこうトンデモない仮説をそのまま保全して却下しない。 知のダブスタ的状態。 昔からそうかな。まあ、若いときは裏面を表現したことはないし、言っても無駄だと思ったし。 ちょっとパーソナルな話だけど。 私は子どもの頃から世界というか他者の世界は、恐い、変なところ、なので、それとつきあって生きていくためにそれをできるだけ客観的にモデル化して理解して実践した。でも、内面の感覚はまるで違ったまま。なので、人生そのものがもうダブスタ。 解

    私にとってダブスタはけっこう自然な状態 - finalventの日記
  • ドクター苫米地ブログ - Dr. Hideto Tomabechi Official Weblog:イエス・キリストを理解してない人たちへ、-(仏陀を理解していない人たちも) - livedoor Blog(ブログ)

    2007年02月22日13:27 カテゴリ イエス・キリストを理解してない人たちへ、−(仏陀を理解していない人たちも) http://www.tomabechi.com の掲示板の2004年の2月過去記事: >>>>【記事番号:497】 サトリの先にあるもの・2 投稿者: 苫米地英人 投稿日時: 04/02/16 18:53:44 近代宗教(キリスト教、イスラム教、仏教など)は、原始的宗教に一般に見られる矛盾=神と人間の関係が対等であるという立場、もしくは、人間が神を使役するという、人間が神の上位になる関係を避けることで成り立ってきたといえます。例えば、日の古来の「御利益」の概念は、人間が、一心不乱に祈ったり、水行をしたり、生け贄を捧げたりして、なんらかの犠牲を神に払えば、神がお返しに御利益をくれるという概念です。これは、人間の行為に神が見返りを提供しなければならないという、人間と神を対

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