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文学に関するhitasanのブックマーク (12)

  • 梶井基次郎 愛撫

    の耳というものはまことに可笑(おか)しなものである。薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛(じゅうもう)が生えていて、裏はピカピカしている。硬(かた)いような、柔らかいような、なんともいえない一種特別の物質である。私は子供のときから、の耳というと、一度「切符切り」でパチンとやってみたくて堪(たま)らなかった。これは残酷な空想だろうか? 否。まったくの耳の持っている一種不可思議な示唆(しさ)力によるのである。私は、家へ来たある謹厳な客が、膝へあがって来た仔の耳を、話をしながら、しきりに抓(つね)っていた光景を忘れることができない。 このような疑惑は思いの外に執念深いものである。「切符切り」でパチンとやるというような、児戯に類した空想も、思い切って行為に移さない限り、われわれのアンニュイのなかに、外観上の年齢を遙(はる)かにながく生き延びる。とっくに分別のできた大人が、

    hitasan
    hitasan 2008/10/14
    読んだ。
  • 夫婦善哉

    夫婦善哉(めおとぜんざい) 織田作之助  年中借金取が出はいりした。節季はむろんまるで毎日のことで、醤油屋(しょうゆや)、油屋、八百屋(やおや)、鰯屋(いわしや)、乾物屋(かんぶつや)、炭屋、米屋、家主その他、いずれも厳しい催促(さいそく)だった。路地の入り口で牛蒡(ごぼう)、蓮根(れんこん)、芋(いも)、三ツ葉、蒟蒻(こんにゃく)、紅生姜(べにしょうが)、鯣(するめ)、鰯など一銭天婦羅(てんぷら)を揚(あ)げて商っている種吉(たねきち)は借金取の姿が見えると、下向いてにわかに饂飩粉(うどんこ)をこねる真似(まね)した。近所の小供たちも、「おっさん、はよ牛蒡(ごんぼ)揚げてんかいナ」と待てしばしがなく、「よっしゃ、今揚げたアるぜ」というものの擂鉢(すりばち)の底をごしごしやるだけで、水洟(みずばな)の落ちたのも気付かなかった。  種吉では話にならぬから素通りして路地の奥(おく)へ行き種吉

    hitasan
    hitasan 2008/06/25
    読んだ。
  • 太宰治 火の鳥

    hitasan
    hitasan 2008/05/25
    「あのひとは、いいひとだ。あのひとを腐らせては、いけない。ばかだ、ばかだ。ひとのめかけになるなんて。ばかだ。死ね!僕が殺してやる。」
  • 国木田独歩 湯ヶ原より

    hitasan
    hitasan 2008/05/25
    ルビが多いからウェブブラウザだと読み辛い。
  • 太宰治 姥捨

    そのとき、 「いいの。あたしは、きちんと仕末(しまつ)いたします。はじめから覚悟していたことなのです。ほんとうに、もう。」変った声で呟(つぶや)いたので、 「それはいけない。おまえの覚悟というのは私にわかっている。ひとりで死んでゆくつもりか、でなければ、身ひとつでやけくそに落ちてゆくか、そんなところだろうと思う。おまえには、ちゃんとした親もあれば、弟もある。私は、おまえがそんな気でいるのを、知っていながら、はいそうですかとすまして見ているわけにゆかない。」などと、ふんべつありげなことを言っていながら、嘉七も、ふっと死にたくなった。 「死のうか。一緒に死のう。神さまだってゆるして呉れる。」 ふたり、厳粛に身支度をはじめた。 あやまった人を愛撫したと、をそのような行為にまで追いやるほど、それほど日常の生活を荒廃させてしまった夫と、お互い身の結末を死ぬことに依(よ)ってつけようと思った。早春

    hitasan
    hitasan 2008/05/24
    「けれども、おれは、なんだ。みれんだの、いい子だの、ほとけづらだの、道徳だの、借銭だの、責任だの、お世話になっただの、アンチテエゼだの、歴史的義務だの、肉親だの、ああいけない。」
  • 太宰治 一日の労苦

    一月二十二日。 日々の告白という題にしようつもりであったが、ふと、一日の労苦は一日にて足れり、という言葉を思い出し、そのまま、一日の労苦、と書きしたためた。 あたりまえの生活をしているのである。かくべつ報告したいこともないのである。 舞台のない役者は存在しない。それは、滑稽(こっけい)である。 このごろだんだん、自分の苦悩について自惚(うぬぼ)れを持って来た。自嘲し切れないものを感じて来た。生れて、はじめてのことである。自分の才能について、明確な客観的把握を得た。自分の知識を粗末にしすぎていたということにも気づいた。こんな男を、いつまでも、ごろごろさせて置いては、もったいない、と冗談でなく、思いはじめた。生れて、はじめて、自愛という言葉の真意を知った。エゴイズムは、雲散霧消している。 やさしさだけが残った。このやさしさは、ただものでない。ばか正直だけが残った。これも、ただものでない。こんな

    hitasan
    hitasan 2007/09/22
    無性格、よし。卑屈、結構。女性的、そうか。復讐心、よし。お調子もの、またよし。怠惰、よし。変人、よし。化物、よし。
  • 太宰治 きりぎりす

    おわかれ致(いた)します。あなたは、嘘(うそ)ばかりついていました。私にも、いけない所が、あるのかも知れません。けれども、私は、私のどこが、いけないのか、わからないの。私も、もう二十四です。このとしになっては、どこがいけないと言われても、私には、もう直す事が出来ません。いちど死んで、キリスト様のように復活でもしない事には、なおりません。自分から死ぬという事は、一ばんの罪悪のような気も致しますから、私は、あなたと、おわかれして私の正しいと思う生きかたで、しばらく生きて努めてみたいと思います。私には、あなたが、こわいのです。きっと、この世では、あなたの生きかたのほうが正しいのかも知れません。けれども、私には、それでは、とても生きて行けそうもありません。私が、あなたのところへ参りましてから、もう五年になります。十九の春に見合いをして、それからすぐに、私は、ほとんど身一つで、あなたのところへ参りま

    hitasan
    hitasan 2007/06/24
    私だって、なんにも、ものを知りませんけれども、自分の言葉だけは、持っているつもりなのに、あなたは、全然、無口か、でもないと、人の言った事ばかりを口真似しているだけなんですもの。
  • 太宰治 猿ヶ島

    はるばると海を越えて、この島に着いたときの私の憂愁を思い給え。夜なのか昼なのか、島は深い霧に包まれて眠っていた。私は眼をしばたたいて、島の全貌を見すかそうと努めたのである。裸の大きい岩が急な勾配(こうばい)を作っていくつもいくつも積みかさなり、ところどころに洞窟(どうくつ)のくろい口のあいているのがおぼろに見えた。これは山であろうか。一の青草もない。 私は岩山の岸に沿うてよろよろと歩いた。あやしい呼び声がときどき聞える。さほど遠くからでもない。狼(おおかみ)であろうか。熊であろうか。しかし、ながい旅路の疲れから、私はかえって大胆になっていた。私はこういう咆哮(ほうこう)をさえ気にかけず島をめぐり歩いたのである。 私は島の単調さに驚いた。歩いても歩いても、こつこつの固い道である。右手は岩山であって、すぐ左手には粗い胡麻石(ごまいし)が殆ど垂直にそそり立っているのだ。そのあいだに、いま私の歩

  • 太宰治 葉

    太宰治 撰(えら)ばれてあることの 恍惚(こうこつ)と不安と 二つわれにあり ヴェルレエヌ 死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目(しまめ)が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。 ノラもまた考えた。廊下へ出てうしろの扉をばたんとしめたときに考えた。帰ろうかしら。 私がわるいことをしないで帰ったら、は笑顔をもって迎えた。 その日その日を引きずられて暮しているだけであった。下宿屋で、たった独りして酒を飲み、独りで酔い、そうしてこそこそ蒲団(ふとん)を延べて寝る夜はことにつらかった。夢をさえ見なかった。疲れ切っていた。何をするにも物憂かった。「汲(く)み取り便所は如何(いか)に改善すべきか?」という書物を買ってきて気に研究したこともあった

    hitasan
    hitasan 2007/06/15
    われは山賊。うぬが誇をかすめとらむ。
  • 太宰治 かすかな声

    信じるより他は無いと思う。私は、馬鹿正直に信じる。ロマンチシズムに拠(よ)って、夢の力に拠って、難関を突破しようと気構えている時、よせ、よせ、帯がほどけているじゃないか等と人の悪い忠告は、言うもので無い。信頼して、ついて行くのが一等正しい。運命を共にするのだ。一家庭に於いても、また友と友との間に於いても、同じ事が言えると思う。 信じる能力の無い国民は、敗北すると思う。だまって信じて、だまって生活をすすめて行くのが一等正しい。人の事をとやかく言うよりは、自分のていたらくに就(つ)いて考えてみるがよい。私は、この機会に、なお深く自分を調べてみたいと思っている。絶好の機会だ。 信じて敗北する事に於いて、悔いは無い。むしろ永遠の勝利だ。それゆえ人に笑われても恥辱(ちじょく)とは思わぬ。けれども、ああ、信じて成功したいものだ。この歓喜! だまされる人よりも、だます人のほうが、数十倍くるしいさ。地獄に

    hitasan
    hitasan 2007/04/22
    「芸術とは何ですか。」「すみれの花です。」
  • 太宰治 人間失格

    私は、その男の写真を三葉、見たことがある。 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹(いとこ)たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴(はかま)をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、 「可愛い坊ちゃんですね」 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空(から)お世辞に聞えないくらいの、謂(い)わば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、 「なんて、いやな子供だ」 と頗(すこぶ)る不快そうに呟(つぶや)き

  • 梶井基次郎 檸檬

    えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦躁(しょうそう)と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔(ふつかよい)があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖(はいせん)カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪(いたたま)らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。 何故(なぜ)だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそ

    hitasan
    hitasan 2006/09/20
    つまりはこの重さなんだな。
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