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LocalとTextに関するhititのブックマーク (2)

  • 地域で生きねばならない理由は何処に - 泣きやむまで 泣くといい

    養護学校の先生たちを前に、地域生活で必要な力について話してくれと言われたのは数週間前。 レジュメを作りながら、困ってしまった。養護学校というのはまさにそのような力を身につけるために教員が日々努力している場所だと思っていたから。算国理社に力を入れているとも思えないし、体を動かしたり、手先を使ったりすることを通じて、生活のための力をつけていかせようということなのだろうと思っていた。そこに将来の「就労」を考え含めたとしても、そのための力をつけていく重要性は嫌というほど教員に理解されているはずである。一般就労にせよ福祉的就労にせよ、卒業後の進路選択は最重要課題だ。今さら「働く力をもっとつけないと」なんて、教員に話しても仕方がない。 「働く」以外に、「地域で生きていく」というために必要な力は何か。少し前に「地域」論をここでも書いたけれど、そもそもあるべき地域生活とはどんなものか、を確定させないことに

    地域で生きねばならない理由は何処に - 泣きやむまで 泣くといい
  • 深町秋生の序二段日記

    週末になると、山形駅あたりのホテルに閉じこもって仕事をしている。 駅前となると繁華街のように思えるが、昼間はかなり静かである。息抜きに散歩をすると、それがよくわかる。土曜の夕方なんて、一番人が街へ繰り出す時間だろうにひっそりとしている。ちりんちりんなんて風鈴の音が風流に響くほど静か。 これは散々言い尽くされたドーナッツ化現象というやつで、同時刻の郊外ショッピングセンターは車の熱気でかげろうができ、周囲の道路は大渋滞を起こし、何人もの警備員が汗だくになって誘導灯を振り回し、子どもはじたばたと泣き叫び、おばあちゃんはへとへとになってベンチに腰掛け……と大賑わいである。 それに反して駅前は商業地としての地位をすっかり奪われ、住宅地に生まれ変わろうとしている。地方の駅前というのはだいたいみんなそんな過渡期に入っているようだが。そんな傾向に合わせるかのように駅前から看板がなくなりつつあることに気づい

    深町秋生の序二段日記
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