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  •  恋ニ酔ヒ、愛ニ死ス ―「らも 中島らもとの35年」 中島美代子・著 ― - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    「中島らもが、死んだ」 平行線のままのどうしようもなく暗い話の最中、ふいに電話の向こうの男がそう言った。 電話の相手は、私が19歳の時に出会った私の初めての男。私はその頃、彼に貸す為に借りたサラ金の返済がどうにもならなくなり、全てが親にバレて実家に戻って罪悪感と自分自身の愚かさと未来の見えなさでグチャグチャになっていた。それでも何とか金を少しでも返して貰えないだろうかと知人を通じて彼に交渉していた。直接話すと私は「負けて」しまうから知人に間に入って貰ったのだ。 知人から連絡が来た彼は逆ギレして私に電話をかけてきた。「返して」「無いものは返せない、それに俺はお前の欲しいものを与えてやってたじゃないか」何十回も繰り返したどうしようもないやりとりにお互いうんざりし疲れてしまい沈黙が訪れた。私は泣き疲れ怒鳴り疲れていた。その沈黙を破り、ふいに彼が中島らもの死を告げたのだ。 彼は一時期、小説家になる

     恋ニ酔ヒ、愛ニ死ス ―「らも 中島らもとの35年」 中島美代子・著 ― - 花房観音  「歌餓鬼抄」
  • 田中未知「寺山修司と生きて」(新書館)を読んで - mmpoloの日記

    田中未知「寺山修司と生きて」(新書館)を読んだ。数多ある寺山修司論の中でもこれは白眉だ。私は数冊の寺山修司論を読んでいるに過ぎないが、仮にこれ1冊しか読んでなくてもそのことは断言できる。 著者の田中未知は20歳のとき寺山に会った。その時寺山は30歳だった。田中は結成したばかりの天井桟敷に入団し、すぐ寺山の秘書になった。その頃寺山は結婚相手の九条映子と別居していた。田中は秘書から寺山の身の回りのこと、劇団の運営、劇団の照明係、寺山の同居人と丸ごと寺山に関わった生き方をした。寺山が亡くなるまで16年半も。寺山修司の一番身近な人だった。 書は6つの章から構成され、第1章「他者を映し出す鏡」、第2章「天井桟敷の現場から」、第3章「母地獄」、第4章「病気を生きる」、第5章「最後の映画撮影」、第6章「寺山修司の死」となっている。 第1章は寺山の俳句や短歌が剽窃だと言われていることへの反論だ。 私は最

    田中未知「寺山修司と生きて」(新書館)を読んで - mmpoloの日記
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