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増田と家族に関するhitoeniaiのブックマーク (2)

  • 父とオナニー

    父子家庭で育った。 母30、父40、私3の時に母が死んだ。 それから父が女性と関係を持っていたかどうかはわからないが、 まじめで無口な人で職場にも女性は少なく、友人関係自体ほとんどなさそうなので、あまり考えられないと思う。 また収入面や生活リズムを考えると風俗に行っていたとも考えにくい。 朝早く会社へ行き定時でまっすぐ帰宅し、趣味といえば読書とちょっとした旅行くらいで、仕事と私の世話に父の後半生は費やされた。 父は漫画が好きで、私とも漫画趣味がよく合い、ジャンプやアフタヌーン、モーニング、ガンガンなどを共有して読んでいた。 一方で父は甘い生活などの過激な漫画から気の成年漫画まで多数持っていたし、私もそのうち過激な少女漫画やボーイズラブも読むようになった。 家に数多くの官能小説やアダルトビデオがあるのにもいつからか気づいていた。 趣味が合う部分がある一方で、狭い家で隠しきれるわけもないそ

    父とオナニー
  • でも育ててくれた家族なんでしょう?

    飼育だったのか養育だったのか問わないが確かにそうだ。 私は二人の連れ子を持つ継母の元で育った。 実父かどうかは分からない男親は継母と婚姻したが数年後離婚届だけを残して蒸発した。記憶も無ければ興味も無く己の出自を調べた事もないしするつもりもない。 私の継母に関する最初の記憶は義姉の誕生日に義兄と継母がにこやかに卓を囲んでいる光景だ。 私はそれを自室として与えられた布団部屋の戸を少しだけあけ、ぼんやりと眺めていた。 部屋には3組積み上げられた布団とほつれた絵、ゼンマイで動くワニをたたく小さなおもちゃ。前回分の事に使った器。水の入ったお茶のペットボトル。日がな一日私が指でほじくり返していた畳が一面ささくれ立っている。 布団を敷く事はない、見つかるとすぐに畳めと継母に怒られるからだ。寒い時は布団の山に寄りそい、耐えられない時は畳んだままの布団の間にサンドイッチのしなびたレタスのように挟まっ

    でも育ててくれた家族なんでしょう?
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