宮台真治のブログに押井守評がアップされた。押井守やサブカル系に興味のある人は、おすすめです。賛否両論あるみたいだけど、ぼくは肯定派。経験的に賛同できる部分が多い。個人的には、キャラクターのコスチュームの変化を追っていくと、「大世界の中の陳腐な日常」の表徴や「虚構の現実化」などが、具体的に明らかになると思う。それが「建物」でないところが、すごく残念ではあるけれど。10代の頃を振り返ってみると、虚構の中に現実の未来の「可能性」を見出したり、現実の中に虚構の世界の「拡張性」を探し出したり、そんな匂いの断片を一生懸命探した時期があったなと懐かさを覚える。虚構の世界に原風景があると言われるぼくたちの世代にとって、それらはごく自然な行為だったのだ。 SFは未来が舞台です。でも未来への関心が中心ではない。現実社会が持つ様々な問題の萌芽が育ったものとして未来を見る。ある萌芽が育つとあんな未来、この萌芽が育