「Vtuberの登場で、やっぱり顔はいいに越したことはない、って証明されたよね」 わたしたちはコメダ珈琲の新宿御苑前店で一服していた。いとうは爪で髪を掻きつつ続けた。 「ドゥルーズは『千のプラトー』で顔は記号だけど同時に身体でもあるから政治的なものだ、って言ったわけじゃない? で、顔の美醜を問うのはポリティカル・インコレクトだってことになった。けどこれは、まさに悪しき民主主義だよね。アリストテレスは『二コマコス倫理学』で、少なくとも顔の醜くないことを幸福の条件に挙げてるけど、古代ギリシャから現代までに民主主義が記号化してるんだよね」 他人がきけば白眼視するようなことを言う。そうした話ができるだけの知性を見積もられていることは心地いいが、いつもわたしがきき役だ。 いとうは神経質そうな険のある顔をしているが、ひとによっては美人とみるだろう。わたしは彼女の顔をみるたび、坂口安吾の『白痴』に書かれ