せかいのはんぶんを受け取ることが何故故にイコールバッドエンディングであるのかという問題は常に人々を悩ませ続けてきた。あるものはそれを目的の喪失であるとし、諦めこそが人生における最大の罪であるという堀井雄二のメッセージであると考えた。またあるものはその受け取ったせかいのはんぶんを肉体であるとし、目先の人参甘い誘惑に負け流されて本当に重要なもの即ち精神、心、魂、強いては人生という物を悪に売り渡すことの危険性を解いているのだと考えた。そしてまたあるものはそれを、竜王が世界のはんぶん、即ち世界中のまんこというまんこを独占し、対して勇者には世界中のちんこというちんこが殺到したのだと考え、それを想像しては吐き気を催した。一部の男色家はその真逆を想像し、神はなぜ女などという低脳にして無能なる失敗作をはんぶんも造りたもうたのかと想像主に憎悪を募らせた。 そして、結局多くの人々、いやある意味では全ての人々は