現代美術が、あるひとつの、単純なゲームに堕ちようとしている。 2010年代以降、わたしたちの日常的なプラットフォームとなったソーシャルメディアは、美術界をも飲み込んでしまった。ソーシャルメディアの内部で生まれ続ける分断が、そのまま美術界の分断を生み、美術界の勢力図を書き換えていった。 閉ざされたプラットフォームのなかで、あらゆる表現はただちに、わかりやすい代理表象となり、単純なメッセージに変換されてしまう。政治的であるかそうでないか、右か左か、リベラルか保守か、被害者か加害者か、マーケットかオルタナティブか…… 情報技術を背景にした現代美術の「ポリティカル・ターン」は、プラットフォーム上で繰り広げられる出口のない分断のゲームと化してゆく。 2019年の「あいちトリエンナーレ」をめぐって起こった「表現の自由」論争はまさに、そのような10年代のポリティカル・ターンの完了を告げるものだったと言っ
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