東日本大震災で県外に避難する人の多くは、事故が起きた福島第一原子力発電所の周辺住民らだ。身の回りの品もほとんど持たずに住まいを離れた人たちは、先の見えない不安の中にいる。 原発20〜30キロ圏内の屋内退避区域に住む、福島県南相馬市の郵便局非常勤職員、清水正人さん(60)は、家族9人で青森県八戸市の海上自衛隊第2航空群司令部の体育館に避難した。原発の事故が明らかになったあと、周囲の住民たちは次々と避難した。食料も尽きかける中、知人の助言で避難を決めた。 「ちょっとだけ我慢して」――。家を出るとき、車に乗るまでの間、1歳、4歳、6歳の3人の孫をポリ袋で完全に包んだ。「絶対に孫は被曝(ひばく)させたくなかった」 15、16日に車2台で出発し、日本海側を回るなどして約13時間かけ、約400キロ北の八戸市に着いた。青森近くに来たときも「いわき」「福島」ナンバーの多くの車が北をめざしていた。