コミュニケーションが生まれるツイートまとめツール
ブルデュー研究 ハビトゥス概念について、「有名だから自分は当然のごとく知っている。」こう思い込んでいる人は、多いはずです。しかし、社会学者に限定すると、この概念を分かっている人は日本にいくらもいないと思います。実際には、ほとんど何も分かってないのに知ったかぶる大学教員が多いので、学生の方は気をつけましょう。(ウィキペディアも全く役に立ちません、念のため。)たとえば、宮島喬氏などは、その典型例です。ブルデューの社会学を「文化的再生産論」で括るというとんでもない曲解をし、社会学辞典まで作ってブルデューの諸概念についてでたらめなことを書いています。 「文化的再生産論者ブルデュー」という虚像が広められたのは日本とイギリスにおいてですが、イギリスでは世紀が変わってから、そういう虚像を真に受ける社会学者は皆無になりました。でも、日本では未だに『社会学』(長谷川・藤村・町村・浜/共著)などの代表的な社会
当初は別に非難するつもりもなく、ただのウォッチの対象に過ぎなかったTwitter。しかし交わされる内容の中身の空虚ぶりには、目を覆いたくなるものが多い。というか、このネタの宝庫を誰もつっこまないのが不思議なほど。 ソフマップの店頭デモを見ながら、 二人のオタが言い争っていた 「初音ミクが唄っているのだ」 「いや、ただパソコンが鳴っているのだ」 そこへ通りがかったオタが言った 「初音ミクが唄っているのでもない、 パソコンが鳴っているのでもない おまえらの心が鳴っているのだ」 二人のオタは鳥肌をたてた。 (非風非幡) 手近なものをひとつ紹介したが、「どう?」「すごいでしょ?」って書き上げた本人のご満悦ぶりは伝わってくるけど、内容はちんぷんかんぷん。「わからないので文意を説明してよ」と言っても、聞いたところで発言者自身しどろもどろになるだけだろう。これはヒッチコック映画でいう「マクガフィン」で、
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