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philosophyに関するhyoroのブックマーク (2)

  • 鷲田 清一 - 新聞案内人 :新s あらたにす(日経・朝日・読売)

    【回顧・展望】「新聞人」が思いはせるべきこと(1/3) 新幹線に乗ると、一行広告のようなニュースが列車の前部に流れる。近頃のテレビニュースには、情報としてなにかそれと変わらないような印象があって、いつのまにかあまり見なくなっている。 それと逆方向の現象と言っていいのかどうかわからないが、このところ単行のしおりやはさみ広告に、手書きのものが増えている。 編集者が、かならずしも上手くない、というよりむしろ稚拙な字で手書きした、当該書物や他の刊行を読んだ感想をしたためている。また、自然品の店などの広告も、昔懐かしいガリ版印刷したような手書きのものが、気がつけば思いのほか増えている。 この二つの現象につられてふと連想したことがある。「普通」ということばの意味の変遷である。 ○ときめきなくした「普通」ということば 「普通」ということばは、現代ではあまりポジティヴな意味では用い

  • [書評]中学生からの哲学「超」入門 ― 自分の意志を持つということ(竹田青嗣): 極東ブログ

    私は竹田青嗣氏の著作はデビュー作からほぼ網羅的に読んでいるので、初期の欲望論、そしてその基礎方法論としての一連のフッサール・現象学解説著作から、近年の「人間的自由の条件 ― ヘーゲルとポストモダン思想」(参照)による、フッサールからヘーゲルに至る社会思想への深化・変遷のあたりで、竹田氏は一つの頂点を迎えたのか、あるいは学生や実際上のお弟子さんたちの教育に忙しくなったか、しばらく思想的な展開は見られないものだろうと思っていた。 そうした流れで、書「中学生からの哲学「超」入門 ― 自分の意志を持つということ」(参照)も見ていたので、書店で見かけたときは、またこれも初期の副産物的な作品かと思っていた。実際、書はかつての類書「「自分」を生きるための思想入門」(参照)とよく似ている。なお、同書については「極東ブログ: 社会システムとルール社会を越えていくもの」(参照)で触れたことがある。また竹田

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