仕事の現場で奮闘するビジネスパーソンたちの魅力、スキルを“○○力”と名付けて、読者の皆さんにお届けしたい! 題して、連載「あのビジネスパーソンの『○○力』」。 今回登場していただくのは、アサヒ、ロフト、松屋フーズ、エースコックなど、大手企業のSNSコンサルティングを行ってきたgrass株式会社の齊藤澪菜(さいとう・れな)さん。
あなたが死んだあとのことを考えたことがありますでしょうか? もしかしたら漠然とは考えているかもしれませんが、具体的にどうなるか一度ぜひ考えてみてください。例えばあなたのFacebookアカウントはあなたが亡くなった後もずっと残り続けます。その場合、そのままでいいという結論なのか、削除されるようにしておきたいという結論なのかの二つの選択肢がありますよね。それによって、準備しておくことが変わってきます。 今回のテーマは「自分の人生の終わりを納得できるものにするために行う事前準備」です。 例えば、自分のお葬式やお墓について考えておいたり、遺言を作成したり、それこそSNSなどをどうするか、財産や相続についての計画を立てたりと、身辺整理をしておくことです。家族に迷惑をかけないということ、そして自分自身が納得して死を迎えられることを考えていくプロセスです。それは必ずしも年を取ってからやるべきものという
現在大学3年生。某県某大学に通っている。ちな理系。前期、僕はある講義を受けていた。普通の座学。その講義はお昼前に開講されている講義だったので、講義の後半になるにつれ腹が減ってくる。んで学内の食堂ってのは大体、講義が終った直後くらいに学生で埋まっちゃうから、講義が早く終わるかどうかってのは空きっ腹抱えたナウでヤングな学生達にとってはそりゃもう死活問題。講義終了30分くらい前に某SNSを覗いてみると「腹減ったー。さっさと終われ、この [ココに最高に汚い言葉が入る] 講義!」など、それ教授の前でも同じこと言えんの?的なトゥイートがちらほら。どんだけ食欲旺盛なんだ(昼前の講義に限らずどの講義でも大体こんなもんだけどね)。しかしその日はたまたま、本来の終了時刻より20分くらい前に講義終了の雰囲気になった。いつもは時間通りに終わらせる先生だったからかなり珍しい。先生は今週の課題の説明をした後に、一言「
バイトが冷蔵庫はいったりして店つぶして賠償金数千万なんてひどすぎる。だって会社が店を閉店したのは、世間様の空気に屈した(先読みした)からなのに。冷蔵庫の清掃や商品の廃棄、客への補償に対する賠償請求ならまだわかるよ。でも世間力の強さをバイトのせいにするなんてとんでもないよ。 だけど世間様(ブコメとかヤフコメとか2ちゃんしか見てない……)は「そうだ、こいつをつぶせ!」ってゆう。1アウトで人生ゲームセットにしろっていう。賠償金払ったら終わりじゃなく、復学もダメ、まともな就職もダメ、一生日の目を見るなという。 「こういうやつが社会に出る前に潰せてよかったね」みたいなコメントを見かける。「一度失敗した人間は、また失敗するかもしれないから潰せ」ってわけだ。でも「一度失敗した人間は、今度は学習して上手くいくかもしれない」とだって言える。けれど、そうは言わないんだ。 あるいは「社会秩序を乱すことは許されな
フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた) 作者: デビッド・カークパトリック,小林弘人解説,滑川海彦,高橋信夫出版社/メーカー: 日経BP社発売日: 2011/01/13メディア: ペーパーバック購入: 33人 クリック: 2,842回この商品を含むブログ (240件) を見る Get A Life!! Facebook is Bad for You (2013/8/17号 p.68) フェイスブック参加の誘惑に抵抗し続けてきた人々は、最新の研究成果を読んだら勝ち誇ることだろう。ちょうど「Public Librarry of Science (科学の公共図書館)」誌に発表された、ミシガン大イーサン・クロス&ベルギーのルーヴァン大フィリッペ・フェルデュンが実施した研究によれば、人はフェイスブックを使えば使うほど、人生に対する満足度が下がるとのこと
いままでラノベ作家かラノベ読みかワナビかそれらのクラスタの周辺に生きる意識が無駄に高い人しかフォローしてなかったので、2chなどの外部サイトで話されるtwitterのイメージと自分のTLの乖離を疑問に思い。ここしばらくなるべく民度低そうなアカウントをフォローしてTLを書き換える行為を試してみたら、見事に外部サイトで語られるtwitter論のイメージと合致するTLになった。 やったこと 死んでるアカウントを避けてフォロー 自分のTLにいないタイプの人をフォロー 最近活動しているアカウントをフォロー これらの条件をみたすため「やらおん」管理人のフォロワーをひたすらフォローしていった。 自らフォローを行わない「やらおん」のアカウントはアクティブなツイッタラーを探すにはうってつけだった。 2000人ぐらいフォローしたらだいぶ以前のTLと景色が変わった。 結果 「○○したらRT」「○○と思ったらRT
私はtwitterもFacebookもやっていない。 別段やりたいとも思わなければやる必要性を感じたこともないから。 まして今は二人の幼子の子育て中だ。 目の前の生活が大切であり目の前の生活で精一杯でありそこにいない誰かとのつながりなどどうでもよい。 用があればその相手には直接メールなり電話なりすればよい。 用もないのに生活の断片を垂れ流し知らせる必要もない。 メルアドも電話番号も知らないような相手なら尚更コミュニケートする必要性を感じない。 しかし、それは私の考え方であり、他人がどうしようとそれもまたどうでもよい。 世の中の多くの人がtwitterやFacebookに興じているところをみると、 私のような人間の方が少数派なのであろう。 そう思っていた。 だがどうにも堪えがたくなってきたので吐き出させていただく。 そんなにtwitterやFacebookは大切なものなのか。 そんなに常に見
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