2006年6月5日、広島からトレードで入団。内外野を守れるスイッチヒッターにチームの期待がかかりました。入団時の背番号は「58」。入団会見では清武代表と握手を交わし「大きなチャンスをもらったと思って頑張りたい」と語りました。
2006年6月5日、広島からトレードで入団。内外野を守れるスイッチヒッターにチームの期待がかかりました。入団時の背番号は「58」。入団会見では清武代表と握手を交わし「大きなチャンスをもらったと思って頑張りたい」と語りました。
2010.03.04 NPB新人研修 木村拓コーチ講義内容 高校時代は4番を打っていて、捕手でした。19年間プロ野球選手をやって、最後は2番・セカンドになった。そのいきさつを話そうと思います。 1990年のドラフトで、僕は指名されませんでした。当時は6位までに指名されなかった選手は、「ドラフト外」で自由競争でした。僕は高校通算で35本塁打打っていて、宮崎県のお山の大将で、ドラフトで自分の名前が出ないでショックでした。ドラフト外で日本ハムに入団する時に、スカウトから「入ったら横一線だから。プロの世界は自分が頑張って結果を残せば、一軍に上がって大変な給料がもらえる」と言われました。 でも入ってみるとちょっと違っていた。新人のみなさんはキャンプを1か月やって、「これならやれるな」と思った人と、「すごい、ついていけないかも」と思った人がいるでしょう。僕はキャンプ初日にシートノックでボー
巨人ファンも広島ファンも思いは同じ!両サイドから「タクヤ頑張れ」コール ◆広島3―10巨人(4日・マツダスタジアム) 頑張ってくれ、キムタク―。2日の広島戦の直前に「くも膜下出血」で倒れ、入院中の巨人・木村拓也内野守備走塁コーチ(37)に向けて4日、マツダスタジアムのスタンドから「タクヤ応援コール」が巻き起こった。一方で、同コーチの容体は、まだ予断を許さない状態。清武英利球団代表(59)は、沈痛な表情で「(状態は)悪化の一途をたどっています」とコメントした。 広島市内の病院で病魔と闘っている木村コーチに、届きそうなぐらいの大声援だった。試合開始、約5分前。右翼に陣取るカープ応援団から、広島在籍時代の応援テーマが流れ出すと「かっ飛ばせ! タクヤ。頑張れ頑張れタクヤ」という熱いコールが、何度も繰り返された。 それだけでは終わらない。広島ファンの思いに応えるように、今度は三塁側2階席のジャイアン
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