上野のゴヤ展の予習として読んだらぶッ飛んだ。 庶民出身の、サラリーマン絵師だったゴヤが、どうやって伝説へ大化けしたかをつぶさにたどると、近代革命史あり、宮廷の権謀術数あり、どん底からの這い上がりど根性物語あり、なんでもありのスゴい伝記と相成る。ゴヤの作品と生涯をタテ軸に、同時代のスペインとヨーロッパの激動をヨコ軸に読み進めると、「ゴヤ」という名の人間ではなく、これらの化学反応により生み出された怪物のごとく見えてくる。 わたしの悪いクセなのだが、一人の天才に焦点を当てると、その最高傑作だけに眼が奪われ、そこに至る紆余曲折や失敗プロセスの一切を、無かったことにしてしまう。そして、その天才を神格化して崇め奉ってしまうのだ。同じ轍を踏んでる発言の感嘆符(!)を眺めると、連中の崇め奉りたい欲求にジワジワくる。 その天才は、そう呼ばれる前にやっつけ仕事もたくさんこなし、身過ぎ世過ぎしてきたはず。意に沿
黒い絵と言われる14点は、プラド美術館にあるが。 聾の家の壁から、、カンバスに移されたもの。 元々描かれた場所は ■ 2階サロン アスモデア 異端審問 運命の女神達 棍棒での決闘 砂に埋もれる犬 読書(解読) 自慰する男を嘲る二人の女 食事をする二老人(1階?2階?) ■ 1階食堂 レオカディア ユーディットとホロフェルネス 魔女の夜宴 サン・イシードロの巡礼 我が子を食らうサトゥルヌス 二人の老人 カンバスに移された後に、、 相当に 修正、加筆があったらしい。 X線検査の結果、、 初めは、壁に風景画が描かれ 後日に、その上に黒い絵が描かれた。 その下の風景画と、上の黒い絵とも関連があるそうだ。 * 黒い絵の下の風景画が、ゴヤが描いたものか ゴヤが家を購入する前に描かれていたかは不明。 * 聾者の家 * ゴヤが 1819-1822 の4年間ほとんど外出することなく住んだ別荘。 10ヘクター
聾者の家における配置図 黒い絵(くろいえ、(スペイン語: Pinturas negras)とは、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤが、晩年に自身の住居の部屋の壁に描いた一連の絵画の総称。現在はプラド美術館に全点が所蔵されている。 1819年、ゴヤはマドリード郊外に「聾者の家」(Quinta del Sordo)と通称される別荘を購入し、1820年から1823年にかけて、この家のサロンや食堂を飾るために14枚の壁画を描いた。黒をモチーフとした暗い絵が多いため、上記の名で呼ばれている。特に『我が子を食らうサトゥルヌス』が有名。ゴヤは亡命(1824年)に至るまでの数年間を過ごした。「聾者の家」は、以前の所有者が難聴だったためにそう呼ばれたという。1909年に別荘が取り壊され、壁画が取り外された。 X線写真で見ると『大雄山羊(魔女の集会)』を除く13点には元々、風景画が描かれており、ゴヤ自身が上
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