大江 広元(おおえ の ひろもと[2]、旧字体:大江廣元)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての貴族。 はじめは朝廷に仕える下級貴族(官人)だったが、鎌倉に下って源頼朝の側近となり、大蔵御所公文所(後の政所)と鎌倉幕府の初代別当を務め、幕府創設に貢献した。 生涯[編集] 久安4年(1148年)に生まれる。生年は『吾妻鏡』や『鎌倉年代記』、『関東評定伝』などが嘉禄元年(1225年)に78歳で死去したとする記事を載せていることからの逆算である。なお、『尊卑分脈』では嘉禄元年に83歳で死去し、生年は康治2年(1143年)としている。 広元の出自は諸説あり、その詳細は不明。『江氏家譜』では藤原光能の息子で、母の再婚相手である中原広季のもとで養育されたという。しかし『尊卑分脈』所収の「大江氏系図」には大江維光を実父、中原広季を養父とし、逆に『続群書類従』所収の「中原系図」では中原広季を実父、大江
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