内戦下のシリアで拘束され、3年4カ月ぶりに解放され帰国したフリージャーナリストの安田純平さん(44)が2日、都内の日本記者クラブで解放後初めての記者会見を開いた。「可能な限り説明することが私の責任だ」と話し、シリアで拘束された経緯などを詳細に証言した。日本政府の対応について「紛争地での救出は難しいので、可能な限りの努力をやっていただいたと考えています」と述べた。 安田さんは会見の冒頭、「解放に向けてご尽力いただいた皆さん、ご心配いただいた皆さんにおわびしますとともに、深く感謝申し上げたいと思います」「私自身の行動によって、日本政府が当事者になってしまった点について、大変申し訳ないと思っています」と述べ、深々と頭を下げた。 安田さんの解放をめぐっては、直後から「どれだけ国に迷惑をかけたのか」「日本政府の言うことを聞けないなら外国行かないでくれ」といった批判がネット上に出ていた。 こうした批判
朝鮮半島が日本統治下にあった戦時中に日本本土の工場に動員された韓国人の元徴用工4人が、新日鉄住金に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、韓国大法院(最高裁)は30日、個人の請求権を認めた控訴審判決を支持し、同社の上告を退けた。これにより、同社に1人あたり1億ウォン(約1千万円)を支払うよう命じた判決が確定した。 韓国の裁判所で、日本企業に元徴用工への賠償を命じる判決が確定したのは初めて。 日本政府は、元徴用工の補償問題は1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」との立場を取る。今後の両国の対応次第では、外交や経済関係に打撃を与える可能性があり、日韓は新たな火種を抱えることになった。 原告は同社が賠償に応じない場合、資産差し押さえなどの強制執行手続きができる。弁護団は、同社の資産は韓国にないとして、第三国での手続きを視野に入れる。同様の訴訟は、新日鉄住金に加えて不二越(東京都)など約
大阪府警富田林署で留置中だった樋田淳也被告(30)=加重逃走罪で起訴=が逃走した事件で、府警は26日、留置管理など署の業務指導が不十分だったとして、同署の山内寛署長(56)を減給10分の1(3カ月)とするなど計7人を懲戒処分とした。山内署長は更迭され、29日付で警務部付となる。 ほかに懲戒処分となったのは、いずれも富田林署員で、逃走当日の当直責任者や留置担当者ら。また同署副署長やほかの留置担当者ら計7人も内規に基づく本部長注意や警務部長注意などとした。処分は26日付。 府警本部の留置担当者については、事前に認識することが難しく、防止する手立てがなかったとして監督責任を問うのは見送った。 事件は8月12日夜に発生。樋田被告は同署の面会室で弁護士と接見後、アクリル板を押し破って逃走したとして起訴された。面会室の出入りを確認するブザーは電池が抜かれていたため、作動しなかった。 その後の調査で、留
シリアの過激派組織による拘束から解放された安田純平さんが25日、トルコ・イスタンブールから日本へ帰国するトルコ航空の機内で朝日新聞の取材に応じ、「自由になれたのは本当にうれしいです」と語った。 安田さんは、黒いTシャツにサンダル姿。エコノミークラスの通路側に座っていた。頭髪は短く整えられているが、ひげが長く伸びた状態。少し疲れたような表情だが、健康状態はほぼ良好とみられ、はっきりした口調で取材に答えた。 3年4カ月間の拘束生活のうち、約8カ月間は高さ1・5メートル、幅1メートルの独房に監禁されたという。「虐待状態がずっと続いていた。精神的な負担もかなりあった」と説明した。 2016年からは「解放する」と連日言われたが、独房の両側に見張り役がいて、1日24時間身動きができなかったという。「何一つ音を立ててはいけない。指を動かして関節がなったらダメ。寝ている間に体が動いてもダメ」。過酷な環境を
内戦下のシリアでイスラム過激派組織に拘束され、解放されたフリージャーナリストの安田純平さん(44)は、7月にネット上で公開された映像のなかで、「私はウマルです。韓国人です」などと話し、臆測を呼んでいた。その真意について、安田さんが帰国フライトの中で取材に語った。 動画は7月31日にネット上で公開。約20秒のなかで、オレンジ色の服を着た安田さんは「私の名前はウマルです。韓国人です」「とてもひどい環境にいます。今すぐ助けてください」と、かすれた声で訴えていた。背後には銃を持った覆面姿の男2人が立っていた。 「自分の本名や日本人であることは言うなと要求されていた」。安田さんは25日、帰国のために搭乗したトルコ航空機内で、記者にそう理由を説明した。 「他の囚人(監禁被害者)が、釈放された後に『あそこにニュースで出ている人質の日本人がいる』と言われたら、私の監禁場所が世間にばれて(犯行グループが)攻
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内戦下のシリアに2015年に入国した後に行方不明になり、過激派組織の拘束から解放されたとみられるフリージャーナリストの安田純平さん(44)について、日本政府は24日、安田さん本人と確認したと発表した。 河野太郎外相が24日午後、「無事が確認されたことは非常に喜ばしい。カタール、トルコ両政府の関係者に御礼申し上げる」と記者団に明らかにした。政府は、23日午後9時ごろにカタールからの連絡で、安田さんが解放されてトルコ南部アンタキヤの入管施設にいるという情報を得たとして、身元の確認を進めていた。 安田さんの知人によると、安田さんは15年6月下旬、内戦の取材のためシリアに向かった。トルコ南部からシリア北西部のイドリブ県に徒歩で渡った後、音信不通になったという。 16年3月に安田さんの拘束が明らかになり、インターネット上に安田さんとみられる男性の動画が投稿された。髪やひげを伸ばした男性が英語で「私は
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