蒐集癖は神経症的な営みである。病気とまではいえなくとも、神経症に近い。蒐集などに熱を上げないで済む者のほうが明らかに健全である。ただし健全であることと人間的な奥行きがあることとは別だけれど。(「奇妙な情熱にかられて」) 最近、「収集癖」という心理について自分なりに研究している。 なぜ切手を集めるのか? 別に切手じゃなくても服でも靴でも模型でも構わない。 特定の物体を自分の近くに移動させてるだけの 甚だ無意味(注1)な行為にどうしてそこまで膨大なエネルギーを使うのか? 考えがまとまってないので、以下は現時点でのメモ書きと思ってくれればOK。 スタンプマガジン2月号、ルイス行啓さんの連載記事「四代目の憂鬱」に 父親のセリフということでこんなセリフが載っていたので引用する。 そうそう、切手収集って、最初の内はいろいろなものが集まってくるから楽しいけど、長いことやっていると、〈楽しみ〉から〈使命感