「テレビアニメ全集」のころ 日本のアニメの草創期から参画してきた筆者が思い出ばなしを中心に語っていきます。 次の転機となったのは昭和62年(1987)でした。軸になったのは「赤い光弾ジリオン」という作品です。 この作品は日本のアニメーション史的観点から言うと「宇宙エース」以来の伝統的存在としてのタツノコプロの最後の作品とも言える作品であり、同時に制作スタジオとしての京都アニメーションとプロダクション・アイジーの出発点となった作品とも言えるのです。 タツノコプロは現在でも再建して存続していますが、昭和末のこのころは苦境に陥っており、有力スタッフが次々と離脱する状態だったようです。 実は「赤い光弾ジリオン」も機能を失いつつあったタツノコプロ本体の制作ではありませんでした。 「ジリオン」制作の中心となった石川光久君はタツノコのスタッフではありましたが「竜の子制作分室」という半独立の組織を立ち上げ