二本松城址(霞ヶ城址)は、福島県二本松市に所在し、江戸時代・寛永20年(1643年)から明治元年(1868年)までの220有余年にわたる、二本松藩・丹羽(にわ)氏10万700石の居城でした。城の東手には藩庁があって、藩士達の通用門がありました。その藩庁前に露出していた長さ約8.5m、最大幅約5mの自然石(花崗石)の大石に刻まれたのが"戒石銘(かいせきめい)"です。 5代藩主(丹羽家7代)丹羽高寛(たかひろ)公が。藩儒学者の岩井田昨非(いわいださくひ)の進言により、藩士の戒めとするため、命じて刻ませたもので、寛延2年(1749年)3月に完成しました。<この年は、高寛公はすでに致仕(隠居)し、6代藩主高庸(たかつね)公(高寛公の長男)の治世でした。>銘は、露出面の縦1.03m、横1.82mの間に、4句16字を刻み込んだもので、その書体は非常に典雅さが感じられます。 つまり、「お前(武士)の