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哲学に関するiwana_slothのブックマーク (2)

  • 目次 - 独今論者のカップ麺

    トップページ 0.私は死ぬ。私は死なない。 はじめに 1.実在世界というのは結局でっち上げになってしまう 実在論がダメなわけ 2.いまここに確かに何かがある 我思うゆえに誰あり 3.死は今ここにある.。死は深遠なものではない 瞬間転送と私の死 4.時間を失ったものは存在し得ない。 0秒間世界創造説 独今論の「今」は0秒間か 5.独今論の「今」とはいつか。 独今論者はカップ麺をべられるか 6.独我論が実在論より確かだというわけじゃない 独我論がダメなわけ 独今論のダメなわけ 7.分析性と総合性のあいだで世界をどう記述するか。 経験主義の二つのドグマを考える 世界を正しく表す文はあるか 8.アプリオリな総合文をカントはどうやって作ったか。 カント「純粋理性批判」を読む。 超越論的な真理はどこまで当か 9.ラッセルのパラドクスを一般化してみる ラッセルのパラドクスの内包と外延 10.無限と数

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  • アプリオリ - Wikipedia

    アプリオリ(羅: a priori)とは、「より先のものから」を意味するラテン語表現。中世スコラ学においては「原因・原理から始める演繹的な(推論・議論・認識方法)」という意味で用いられていたが、カント以降は「経験に先立つ先天的・生得的・先験的な(人間の認識条件・認識構造)」という意味で用いられるようになった[1]。 「わたしは何を知ることができるか」「わたしは何をなすべきか」を問い、自然や人間を認識する「理性」(理論理性)の限界を明らかにするために批判哲学を打ち立てた18世紀ドイツの哲学者イマヌエル・カントは、哲学もまた数学や自然科学にならって、必然的で普遍的な思考方法を獲得しなければならないと主張した。そして、そのためには、人間のあらゆる経験から独立して、理性自身が認識のわく組みを決めることができなければならない、とした。これが「アプリオリな認識」である(アプリオリな認識のうち、経験的な

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