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考察に関するjrw710のブックマーク (2)

  • uumin3の日記 影との戦い(ネット右翼はいなかった)

    もともと「ネット右翼」なんて層・集団はいなかったんです。それは基的には「無党派層」みたいなもので、既存のメディア批判の視点を持っちゃったような人がメディアの嘘に言いたいことを言うというのが一番厚い層ぐらいなもので、あとは大してまとまりなどなく「ネット上で勝手にやる人」が増えていたという「量」の問題だったと私は考えています。 特定の思想や信条があったわけではない「無党派層」なので、わかりやすい善悪やら虚偽(だと思われたもの)に敏感にいついて、お調子者が多ければそれは炎上などにもつながるといった具合。また、ちょうど60年代から70年代あたりの(当時の)「無党派層」が守旧的な保守政治やら権力、既得権益層に絡んでいく流れがあったように、90年代からこちらの「無党派層」にとっては守旧派としてのサヨクの言論や権力としてのメディアが絡むべき対象という感じに捉えられたのだったと思います。 中島みゆきが

    uumin3の日記 影との戦い(ネット右翼はいなかった)
  • 『涼宮ハルヒの憂鬱』における少女の創造力〜虚無性を超える乙女心〜:ハルヒの空、SOSの夏

    『涼宮ハルヒの憂』における少女の創造力 ~虚無性を超える乙女心~ はじめに ~視点と経緯~ 考察は谷川流著『涼宮ハルヒの憂』(角川スニーカー文庫、2003年)のネタバレ満載なので、未読者はご注意下さい。『消失』考察は前篇・後篇へどうぞ。 『涼宮ハルヒの憂』は刊行当時に賛否両論を招きました。ライトノベルとしてのよしあし、あるいは登場人物の造形や物語構成の是非、そして排他的二項対立的世界観からの否定的解釈とそれへの批判。とくに最後の問題については、kagami氏『好き好きおにいちゃん!』内「書評『涼宮ハルヒ』『地球平面委員会』」(WeyBack MachineによるWeb Archive)が契機となって大きな反響を呼びました。そこで指摘されている最も重要な批判点は、作品の「虚無性」についてです。もしも作品世界の唯一のルールが「結局は全てハルヒの意のままに」というものでしかないのであれ

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