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斎藤環に関するjuan-roman-yoshidaのブックマーク (5)

  • Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1

    斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 日時: 3月6日(火) 14:00−16:00 場所: ユメンヌホール(大阪大学人間科学部東館 2階 207講義室) 概要: 脳科学ブームの昨今、脳で人間の心や社会が説明できるかのような言説がまかり通っている。 しかし実際には、現時点での脳科学は、人間の心や行動を整合的に説明できる学問たりえてはいない。 精神医学者アンリ・エイは、脳の障害と精神症状との間にギャップがあることをふまえて「器質−臨床的隔たり」と呼んだ。 この指摘はいまこそ有用である。 「階層性−非階層性」をキーワードとして、脳科学による心の解明において、設定されるべき限界について述べる。 聴講してきました。 同講演に参加されていた、谷川茂氏(双風社): 「斎藤環さんのセミナーにいってきました」 以下、音声ファイルや配布されたレジュメなどを元に、大まかな記録をアップします。

    Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1
  • 斎藤環【「ユートピア」の精神分析】

    僕は精神科医として、ひとつの幻想に取り憑かれている。それは「あらゆる共同体における、精神的な健康の総量は一定である」というものだ。これは精神病理学者・宮忠雄氏が指摘した「内包の縮小と外延の拡大」といった表現とも通底する。宮氏は、現代社会においては個人の狂気(内包)については軽症化が進み、同時に社会全体(外延)には病理が薄く広く拡散するという傾向を指摘したのだ。加えて、戦時下では神経症が減少するというフロイトの指摘もある。これもまた、戦争という社会的狂気のもとでは、個人病理が減少することを示唆している。 今回翻訳されたJ.G.バラードの1996年作品『コカイン・ナイト』は、「病理社会の心理学」をテーマとする三部作の第一作目にあたるという。格推理の意匠を纏いつつ、しかし作に漂うセンス・オブ・ワンダーの懐かしい香気は、SFの「S」がスペキュレーション(思弁)のSであることを、あらためて確

  • 菊地さんからのお手紙 - pentaxx備忘録

    ご存じの方もおられるかもしれませんが、茂木健一郎さんと往復書簡をやっています。 いろいろ興味深い反響もいただいています。ありがたいことです。 先日は、なんと光栄にも菊地成孔さんからメッセージが。スパンクハッピーもDCPRGも持ってます。 しかし、これはひどいなあ(笑)。いや、いろんな意味で。無芸大って… せっかくなのでお返事を書きたいけれど、茂木さんからの返信が届かない現状では、編が始まらないのに番外編はできそうにありません。あしからずご了承下さい。でも、これでまた返信が遅れそうな予感が。それと恐縮ですが、あの”検閲”っぽい楽屋裏話、ここでバラすのはちとアンフェアかなと。いや面白いんですけど。 なにも僕は、ぼくらの最高のクオリアをこの手で終わらせたくなったわけではないのです。王様は裸だと叫びたいわけでもありません。ただ、言うべきことを言うのに、僕の代わりがいないならしかたがない。それは

    菊地さんからのお手紙 - pentaxx備忘録
  • 書籍出版 双風舎:【連載】齋藤環と茂木健一郎の往復書簡「脳は心を記述できるのか」

    <茂木健一郎から斎藤環への手紙> ■不同意であることを同意する 斎藤環さま。 とても興味深いお手紙を、ありがとうございました。 私たちの祖先は、アフリカで誕生し、それから世界各地に散らばっていったと考えられています。遠くへ、もっと遠くへと赴こうとするのは、どうやら私たちの能のようです。物理的空間だけでなく、概念の世界のなかにおいても。できるだけ、遠くにいくには、どうすればよいか。斎藤さんの議論を拝読しながら、なぜかそんなことを考えていました。 議論をするということの意味は、いったいなんでしょう? 斎藤さんは、依然として私の観点の多くに同意できないといわれる。私は、それでもよいのかもしれないと思います。そもそも、多様性を育むことをよしとする現代において、共感とか同意などだけに価値を置く必要はないと考えるからです。 むしろ、お互いの立場がどれほど離れているかを確認する。そうして、とりあえずは

  • 脳ミュージック、脳ライフ - PELISSE 速報閲覧ページ

    Best ways to assure the replacement of the damaged or leaked plumbing line and accessories is done in the right way Damaged and leaked plumbing lines and accessories are never needed at home or in any of the building because damaged plumbing lines always cause a mess around the house and you will not be able to tolerate such things in a way or another. That is why most people may call for a plumbi

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