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技術者に関するjun009のブックマーク (2)

  • 第二回:モノから教わった中尾、「手を使え、市場に聞け」と説く

    創業当初の松下幸之助は苦心して製造した松下式ソケットを手に「どのくらいの価格なら売れるでしょうか?」と販売代理店を回り、意見を聞いては改良していった。「経営学は教えられるが生きた経営は教えるに教えられない。自ら会得するものである」という彼の言葉は、長い間松下経営の基として語り継がれてきた。こうした幸之助の経営姿勢は、いわゆる現場主義のルーツといってよい。 そして中尾もまた、「対象にぶつかり対象から学ぶ」という現場重視の姿勢を貫いた。会社の規模拡大とともに知識偏重型の社員が増えたが、中尾はモノから教わることの重要性を繰り返し説いた。今回はその中から代表的な四つの言葉を紹介したい。 「新商品の開発は自分の頭で考えるだけでなく、市場から教わる必要がある」と中尾は常に語っていた。松下電器には、1942(昭和17)年に発表された商品づくりの指針があった。それは、「製品には親切味、情味、奥ゆかしさ、

    第二回:モノから教わった中尾、「手を使え、市場に聞け」と説く
  • だから技術者は報われない

    お会いするのは何年かぶりだから、さすがにちょっと老けたかなと思った。でも、せっかちに歩く姿も、甲高い声で熱く語る姿も、昔とちっともかわらない。「1993年からだから、ずいぶん長いですよね」。そう言われて指を折ってみれば15年。その間に、何度も彼に会い、語り、彼と彼の成果について実に多くの記事を書いてきた。 彼とは、中村修二氏のことである。最初に出会ったとき彼は、地方の中小企業に勤務する一技術者だった。ところが、1年も経たないうちに、カリスマ研究者と呼ばれるようになり、やがて「日としては初めての企業人ノーベル賞候補」と目されるようになる。その彼から「会社を辞める」という連絡をもらったのは、1999年末のこと。地方企業の技術者から米有名大学の教授へと転身し、一躍全国区のヒーローになった。 その彼が古巣の会社からトレードシークレットで訴えられ、その反訴というかたちで、いわゆる「中村裁判」が始ま

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