ごく親しい知人同士の間で「ソーシャルジプシー」という単語がたまに出てくる。数年サイクルで栄枯盛衰を繰り返すかのように見えるソーシャルサービスで、私たちが落ち着いてじっくり利用できる安住の地はあるのだろうか?という根なし草風来坊感を表現してのフレーズである。 結論から書くと、おそらくソーシャルという形態を前提とする限り、安住の地は出て来づらいだろう。現状のソーシャルサービスのメカニズムが長期のコミュニケーション構造維持と親和性の悪いところがあるのと、更にシンプルにユーザー側が飽きてしまうという身も蓋もない事情が重なることで、業界を制するような形での特定のソーシャルサービスの繁栄は長続きしない。携帯の機種交換よりは長いかもしれないけれども、テレビやHDDの買い替えサイクルよりも短いという非耐久消費財くらいの位置づけになってしまっている。 このようなサイクルを経てしまうのに原因は幾つかある。簡単