社会の問題を考えようとするとき、これまで希望は前提でした。希望、それはすなわち欲望や目的となり、その欲望や目的を所与として、消費、進学、就業、結婚、出産などが実行されると、社会科学では考えてきました。しかし現在、その前提自体が揺らいでいます。 進歩、発展、成長、近代化。そんな言葉を信じられる時代がありました。個人が何を欲し、何を目的として生き、社会がどこに向かっているかについて、はっきりと先行きが見えているかに思える、そんな時代でした。そのころ、学問を含む様々な社会的言説もまた、「希望はいつでも存在する」ことを暗に想定していました。しかし、今や、そのような想定が失われつつあるのです。 かつて炭坑夫たちは、炭坑に入るとき、かならずカナリヤをつれていったといいます。坑内に有毒ガスが漏れ出したとき、人間より早く、カナリヤはその危険を察知したからだというのです。もしかしたら若者たちは、現代のカナリ
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