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創作に関するkadotanimitsuruのブックマーク (16)

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    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/10/17
    「銀英伝に学べ」ではそれこそ作中で揶揄的に描かれていた自己啓発本www /あれは「英雄伝説」であって軍事的政治的リアリティは皆無だからなぁ。もちろん作者はそんなこと先刻承知。
  • そして今日も男の娘に翻弄される快感〜「プラナス・ガール」から見る、女装少年の魅力〜 - たまごまごごはん

    ●男の娘● 今当に「男の娘」が、ものすごい勢いで愛されていますね。 最初期作品が何かは分かりませんが、「ストップ!!ひばりくん」は外せないでしょう。一般化したのは「ギルティギア」シリーズのブリジットでしょうか。あとは「バーコードファイター」も欠かせないですね。 その後たくさんの作品に出てきますが、たいていの場合出てくる度にそこそこ以上の人気を獲得するすごいジャンルです。 こと今に至っては「こんな可愛い子が女の子のはずがない。」「むしろ男がいい」と言われるほどになっていくわけです。アイマスDSに至っては、秋月涼が男の子と判明してから売り上げが伸びる(ただし、アマゾン上での話なので片寄りあり)という異常事態が発生しています。日終わった?いえいえ、始まったんじゃないかなむしろ! これが「オカマ」と書くと一気に雰囲気が変わるから奇妙なモノ。女装少年を「オカマ」というのはタブーみたいな雰囲気すら

    そして今日も男の娘に翻弄される快感〜「プラナス・ガール」から見る、女装少年の魅力〜 - たまごまごごはん
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/09/02
    最初期の例は『とりかへばや物語』実は日本の伝統。/BLが「男性のコスプレ」であるように「メカと美少女」も「女の子のコスプレ」で、それが拡散されて来た、ということかも。男子向け百合とも通じるものが。
  • 中里一日記: ライダージャンプ

    ライダージャンプ もしかすると都市伝説かもしれないが、かつてこんな話を聞いたことがある。 東南アジアでは昔、昭和時代の仮面ライダーのことを「殺人テレビ」と呼んでいた。なぜかというと、子供たちがライダージャンプの真似をして死傷する事故が多発したからだ、と。 規制ばやりの昨今なら、たちまち「子供が真似するようなライダージャンプは禁止せよ」ということになるだろうし、またそうなったからといって別に特撮番組がひどく困ることもないだろう。カメラが撮るべきものは無限にあり、そのうち百や二百を禁じられたところで屁でもない。 しかし私がライダージャンプから汲み取る教訓はそこではない。「読者はヤバい」――これが私にとっての教訓だ。 読者は、作者の命じるままに泣いたり笑ったりする従順な部下ではない。部下どころか敵兵士であり、それも、作者の狙いをくじくべく神出鬼没の奇襲攻撃を繰り返す、優秀なゲリラ兵だ。読者はゲリ

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    kadotanimitsuru 2009/08/27
    人間の現実とは相互作用だからね。全ての行為に責任が付きまとう、という点から言えばその通り。作者ごときが「特権的に」責任を担い得ると考えるなら間違い。リアルでライダージャンプする行為も独立してテクスト。
  • 「ハルヒのエンドレスエイト」や「ひぐらし」などの時間ループモノの起源とされる作品は何なのでしょうか?…

    「ハルヒのエンドレスエイト」や「ひぐらし」などの時間ループモノの起源とされる作品は何なのでしょうか?またこのような物語の筋を専門用語(?)でなんというのでしょうか?

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    kadotanimitsuru 2009/08/24
    大きく取ればウパニシャッド哲学のそれじゃないかな。「エンドレスエイト」や「ひぐらし」みたく切り取られた時間がループするのではなく歴史世界全体の話だけども。
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    kadotanimitsuru 2009/08/20
    フィクションを「悪叩き」の代償行為として消費してる層が居るのかも。/『宇宙の戦士』と『1984年』は同構造の話だけど『宇宙の戦士』だと批判され『1984年』は曲解?して政治利用されるのはそこらへんの関係かも。
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    kadotanimitsuru 2009/08/20
    自分の倫理を物語が裏打ちして欲しい、という欲求があるのかも。疑似科学叩いてるはずの人が疑似科学に陥ってたりするのも科学に対してそういう不毛な「信仰」を期待しちゃってるから、というのと同様に。
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    kadotanimitsuru 2009/08/13
    8割の読者視聴者はベタに取って以上、だしね。ただそっちを基準にしてしまうと『臭作』リメイク版で某キャラHが付いちゃったり『うち妹』に純愛版が出ちゃったりという方向に。
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    kadotanimitsuru 2009/08/12
    批評家やるなら問題だけど、作家やるなら自分の強み生かせばそれでいいような。他の事は他の作家にやらせときゃいいんだし。自分的にはどんな崇高なこと言う作家より実際に触手陵辱調教ゲー作る人の方が作家として上
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    kadotanimitsuru 2009/08/12
    ジャンクとかキッチュとか商業主義とか自体は問題じゃないんじゃないかな。要は競争があるかどうか。分割統治で車輪の再発明で終わるならアマチュアの自己満足と変わらない。むしろ純文学とかの方がそうなってるかも
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    kadotanimitsuru 2009/08/11
    シミュレーションウォーゲーム(人対人の)や架空戦記にはまってた立場としては「創作フィクション」のその狭さには同意できない。別段快楽物質生成するためにフィクションを消費しているわけではないし。
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    kadotanimitsuru 2009/08/07
    時代はウェルメイドを「作る」でなく消費者に「作らせる」に向かっているけれども、本質は変わらないだろうな。ありがち流行り歌を作るのも歌うのも偉大なhack。世界がそのようにそこにある、それを極めること。
  • 「死んだ子供」を大切にしてください - 地下生活者の手遊び

    前回の長ったらしい論考の補足もかねて、id:takanorikidoに応答しますにゃ。 価値と知識 >あと、「価値は知識についてくる」とローチが思っているであろう >という読みはおかしくにゃーだろ? いや、そこは決定的におかしいですよ。 時間ないのでもの凄く圧縮してまとめますが。 権力を分配するための民主主義というゲームがある、 資源を分配するための資主義というゲームがある、 真理を分配するための自由科学というゲームがある。 もちろんこの世には別のゲームもたくさんある。 たとえば芸術が優れているかどうか判断するゲームは 少なくとも上記3つのどれでもないでしょう。 しかし、上2つは特に重要な分野で凄まじい成功を 収めているので代表と認められている。 3つ目をもっと積極的に認めようというのがの大意です。 これら3つは、共通の自由哲学に基づいているから、 最終的決定というものはないとかetc

    「死んだ子供」を大切にしてください - 地下生活者の手遊び
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    kadotanimitsuru 2009/08/06
    あのねその退っ引きならなさは各人で「違う」の。「死んだ子供」も「陵辱ポルノ」も同等に尊いの。自分の「退っ引きならないもの」を捨て去らないこと。他人にも相当するそれがあると理解すること。知ったふりしない
  • 「表現の自由を脅すもの」書評 - 地下生活者の手遊び

    表現の自由を脅すもの (角川選書) 作者: ジョナサンローチ,Jonathan Rauch,飯坂良明出版社/メーカー: 角川書店発売日: 1996/09メディア: 単行 クリック: 59回この商品を含むブログ (22件) を見る 公共的批判の原理 id:takanorikidoから読むようにすすめられた。現在は絶版のようだけど、図書館で借りましたにゃ。いろいろと興味深かったし、あとあと絡んでくる論点も多そうなので、先に紹介しておきますにゃ。 まず、この書籍で目指されている方向性は、科学における学問共同体をモデルにした公共圏構築なのだと考えられますにゃ。ローチ(筆者)のいう「自由科学の社会、批判的社会」とは「お互いの誤りを探す人々の共同体(P105)」なのですにゃ。 「こうした懐疑論的倫理の台頭とその最後的勝利ということは、一体何がそんなに重要なのであろうか。その答えはこうである。懐疑哲

    「表現の自由を脅すもの」書評 - 地下生活者の手遊び
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    kadotanimitsuru 2009/07/16
    『内側からでてきたもので他者を踏みにじるのは、避けられないことであるとしても権利だといえるか?』それは権利ではなく「義務」。全ての思索は正しい。唯互いに矛盾するだけ。特定のパラダイムを絶対視しないこと
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    kadotanimitsuru 2009/07/14
    人が2人いればそれは政治。SMなんて政治の最たるもの。政治だって人の営みなんだからがんがん創作して楽しめばよし。架空戦記もエロゲも同列に楽しむ人間の意見だけどね。
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    kadotanimitsuru 2009/05/18
    あらゆるものが政治性を帯びているので何物かに存続を依存すればそれの道具にされてしまう。「○○だけの作品じゃないんだ」と言った途端に表現は自殺できる。
  • 人形やキャラを売るということ - シロクマの屑籠

    ついに「俺はミクの付属物じゃねえ!」とぶち切れるボカロPが現れた ほんらいの人形師は、人形の芸を巧みにみせて、人形劇が拍手喝さいされることを尊び、喜ぶものだと思う。 けれども、自身が操る美少女の傀儡ばかりが喝采を浴び、それでいて美少女人形のかわいらしさ以外の部分*1がまともに省みられない状況が続けば、ある種の疎外感に直面するかもしれない。さらには、人形師である自分自身の境遇に疑問を感じたり、美少女人形に黄色い声を飛ばす観客や美少女人形そのものに嫌気がさすこともあるのかもしれない。 そう思うと、人気の出てしまった人形師というのは因果な立場だな、と思う。客が集まらなければ集まらないで大変そうだけど、客が集まったら集まったで、今度は「褒められているのは、人形なのか、人形を操る俺の技量なのか、俺自身なのか」という問いに直面する。一途に自分の技芸の向上だけを願い、ストイックに自分自身の作風を追及する

    人形やキャラを売るということ - シロクマの屑籠
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    kadotanimitsuru 2009/04/06
    でもアイドルソングの作詞作曲編曲してた人はずっとそれやってたんだよね。そして初音ミクはより純粋な「アイドル」というだけで何も変わってはいない。最初からこんな界隈に近寄らなければいいのに。
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