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ブックマーク / blog.tinect.jp (93)

  • 「結婚するな」と発信しておいて、実は結婚していた上野千鶴子氏は、本当にすごい。

    「おひとりさまの教祖」と呼ばれる上野千鶴子氏が実は結婚していたと報じられ、SNSを中心に今も騒ぎが収まらない。 それもそのはずで、同氏は「結婚は奴隷契約」「なぜ恋愛と性の自由を放棄して結婚などするのか」と、婚姻制度そのものを厳しく攻撃してきた過去があるからだ。 ツイッターで上野氏に関するハッシュタグを検索してみると、著名人から一般人まで幅広く、攻撃的な言葉で同氏を批判するものが目立つ。 おひとりさまの生き方についてを書いて「結婚という制度がイヤ」と公言してきた上野千鶴子さんが結婚してた。 嘘を書いてにして情弱からお金を取ってたわけですね。いやはや。。。https://t.co/V6gHbSTj0j >独身を貫く上野氏は“おひとりさまの教祖”として女性たちから絶大な人気を誇ってきた。 — ひろゆき (@hirox246) February 21, 2023 上野千鶴子氏の様な二枚舌の嘘つ

    「結婚するな」と発信しておいて、実は結婚していた上野千鶴子氏は、本当にすごい。
    kaeru-no-tsura
    kaeru-no-tsura 2023/03/14
    >桃野泰徳 https://twitter.com/momono_tinect 日本国自衛隊データベース管理人 ツイート引用がひろゆき、めいろま
  • それでもコロナは施設や病院を麻痺させ、弱い人を殺してしまう。それをわかったうえで議論していますか。

    ホーム > それでもコロナは施設や病院を麻痺させ、弱い人を殺してしまう。それをわかったうえで議論していますか。 「新型コロナウイルスの脅威」と言って、今、気で怖がっている日人はどれぐらいの割合だろう? たぶん、あまりいないだろうと私は想像する。 2020年、まだこのウイルスが正体不明だった頃は、大半の日人が脅威を感じて外出やイベントを自粛した。 クルーズ船報道が物々しかったこと、有名芸能人が死去したこと、等々もウイルスの脅威を印象づけ、自粛に拍車をかけたかもしれない。 それから二年の歳月が流れた。 日における感染者数は、2020年とは比較にならないスケールになったが、景気は悪くなり、人々は世界的なインフレと円安に神経を尖らせてインバウンドに期待している。 そこから察するに、日人の大半は、今はあまり脅威を感じていないのではないだろうか。 社会全体の数字を見れば、確かにそれもそうだと

    それでもコロナは施設や病院を麻痺させ、弱い人を殺してしまう。それをわかったうえで議論していますか。
  • 「休めるときに休もう」だと、休めない。

    そういえば、さくらインターネットには2日以上連続の有給休暇を事前申請すると、有給休暇手当が1日あたり5千円出る制度あるんです。 もともと、直前の有給休暇申請を減らして、計画的に休みとって欲しいなって事だったんですが、効果てきめんでした。 ペナルティよりベネフィットだなと思います。 — 田中邦裕@さくらインターネット社長🐈‍⬛🐕 (@kunihirotanaka) 2022年9月12日 このツイートに対するリアクションを見ると、どうやら多くの人は、「ベネフィット」という言葉に惹かれたらしい。 会社がはっきりと「連休取得推奨」を表明していれば、従業員は気兼ねなく連休を申請できるし、さらにカネももらえるのだから、確かに魅力的だ。 でも実は、当に大事なポイントは、別のところにあるんじゃないかと思う。 それは、「計画的に休みをとる」というところだ。 なぜなら、長期休暇取得のためには、「仕事に合

    「休めるときに休もう」だと、休めない。
    kaeru-no-tsura
    kaeru-no-tsura 2022/10/21
    このスタンス、半年前にスケジュールぶち込むライブエンタメクラスタにはかなり有効なんだよねぇ。一昨日トレンドに上がってた“推し休暇”もそういうことだと思う
  • メンバーから「できてません」「進んでません」と言ってもらうために、考えたこと

    この記事で書きたいことは、以下のような内容です。 ・マネジメントをする上では、「出来てない」「進んでない」という情報は最重要であって、早く言ってもらえば言ってもらえる程傷が浅くて済む ・機械的に進捗を把握出来るのが一番だが、なかなかそうもいかない場合もある ・だが、「出来てません」「進んでません」というのは物凄く言いにくいことで、ベテランでもギリギリまで言えない人は多い ・「出来てません」と可能な限り言ってもらいやすい環境を作るのは上司仕事 ・個人差もあるが、ある程度「言いやすい」条件を整えることで、「言えない」人でも言えるようになってくれる場合もある よろしくお願いします。 さて、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、後はざっくばらんにいきましょう。 皆さん、「進捗ダメです」って言えてますか? 「全然できてません」って言えてますか? これはどんな仕事、どんな分野、どんな業界でも同

    メンバーから「できてません」「進んでません」と言ってもらうために、考えたこと
  • 幸せなときは、口に出して言ったほうがいい。カート・ヴォネガットに学ぶこと

    カート・ヴォネガットあるいはジュニア おれはSFをそれなりに読む。それなりに読むだけなので、時代の最先端のSF(『三体』なら読んだが)を常に追いかけていたり、オールタイム・ベストの千冊をすべて読破していたり、ということはない。 そもそものおれのSFの始まりは、カート・ヴォネガットの『チャンピオンたちの朝』か、フィリップ・K・ディックの『ザップ・ガン』のどちらかということになっている。 「よく、その二冊でSFに足を踏み込んだな」と言われるかもしれない。『ザップ・ガン』は置いておくにしても、『チャンピオンたちの朝』がSFかどうかというのは、正直、今でもよくわからない。 よくわからないが、若いおれはヴォネガットを次々に読んだ。そのSFの奇想と、あまりにも地に足のついたヒューマニストとしての「声」にうたれた。 この「声」というのは、このたび読んだの訳者あとがきで円城塔が述べている言葉だった。

    幸せなときは、口に出して言ったほうがいい。カート・ヴォネガットに学ぶこと
  • ド田舎と大都会の間には、「世界」が感じられるぐらいには豊かな領域がまだまだある

    東京と田舎、東京と地方を見比べ、どちらかを称賛したり罵倒したりする言説はネット上では事欠かない。 そうした時、東京を持ちあげたい人は田舎や地方は不便だと腐し、東京を悪く言いたい人は一極集中だ、お受験地獄だ、土地代の高騰だのを挙げる。 田舎や地方は自然に触れやすく、大都市圏は自然に触れにくい、といった言い草もありがちだ。 当は、首都圏でも案外自然には触れやすく、田舎や地方でも意外と自然に触れにくいものなのだが。 東京への一極集中が再び始まった -日経ビジネス たとえば日経ビジネス『東京への一極集中が再び始まった』という記事がアップロードされた時にも、記事に言及していた人の多くが東京と地方、とりわけ大都市圏と田舎を比較していたのをよく覚えている。 そうした比較の多くは、地方の国道沿いで暮らしている私の肌感覚には馴染まないものだった。 東京と地方を比較する言葉には、重要な中間項が抜けていると私

    ド田舎と大都会の間には、「世界」が感じられるぐらいには豊かな領域がまだまだある
    kaeru-no-tsura
    kaeru-no-tsura 2022/06/13
    ここでいう“豊かな領域”がある地方中核都市には、大体城下町としての歴史やインフラに影響するほどの産業があるんだよね。街の成り立ちの話。首都圏は東京が近いせいでその辺が弱いんだと思う
  • 今のおれには楽しいこと、面白いことを書く能力がなくなってしまった。

    楽しい記事、書きますよ おれはこちらに々とした自虐記事ばかり書いていている。 医師でもなければ優秀なビジネスパーソンでもないので、手帳持ちの精神障害者、赤字零細企業勤めというところで差をつけるしかない。 人間精神の根幹であるとか、ビジネスのサクセスをリードする記事など書けるわけがない。 しかしながら、そんな々とした記事ばかり書いていては、内容はマンネリになるし、なによりおれ自身へのダメージが溜まっていく。 自虐、自らを虐げる、虐げられたらあまりいい気持ちはしない。たまにはいい気持ちになりたい。いい気持ち……。 というわけで、「今度は楽しい記事を書きますよ」みたいなことを言った。 楽しい記事だって書けるだろう。なにか、面白くて、笑えるような話を。だって、おれはブログで十年も二十年もそんなことを書いてきたはずだ。うん、楽な話だ。 ……が、これが楽ではなかった。 いや、過去形ではない、楽では

    今のおれには楽しいこと、面白いことを書く能力がなくなってしまった。
  • 「最強の自分」になれないおれたちは、病んでいく

    「好きで働いているんだろ?」 精神科医である斎藤環の『家族の痕跡―いちばん最後に残るもの』を読んでいたら、このような記述にいき当たった。 このように考えてみてはどうか。すべての「職業人」は「好きこのんで仕事をしている」のだ、と。 これを言うのは、正直に言えば、なかなか辛い。厳しい疲労とストレスに耐えて、それでも真面目に働いている人々を、もちろん私は尊敬する。 しかし、その尊敬こそが危険なのだ。その種の尊敬は、そのような生活スタイルがどうしても取れない人たちに対する軽蔑を伴わずには成立しないからだ。 それゆえこの尊敬は小声で口にされるべきものだし、まして自らの多忙さを誇る(=愚痴る)ことは、あきらかに下品な振る舞いなのである。 これには前段があって、ネット(当時の2ちゃん)に書き込まれたコピペがあげられている。 そのコピペ(詩)は見つけられなかったが、「働いたら負け」のインターネット・ミーム

    「最強の自分」になれないおれたちは、病んでいく
  • 片付けられない人間の言い分を聞いてくれ

    おれは片付けられない おれは「片付けられない人間」である。 おれの内心のことなので証明のしようがないが「片付けようとしない」ではなく、「片付けられない」人間だ。 たまに、「片付けられない人間」について書かれたことを読むこともある。 だいたいが、発達障害だとか、ADHDだとか、そういう言葉と一緒に語られている。 おれは双極性障害(躁うつ病)という手帳持ちの精神障害を抱えているが、発達障害方面については診断を受けていない。 かかりつけの医師が、双極性障害についての治療を優先すべきで、発達障害方面の診断、治療は後回しでいいとしているからだ。 とはいえ、おれは「片付けられない人間」についての話やなにか、とにかく発達障害の事例とあまりにも自分が適合するのを何度も何度も見てきた。 だからといっておれが発達障害であるとか、ADHDであるとか言うことはできない。診断を受けていないからだ。 だから、以下に書

    片付けられない人間の言い分を聞いてくれ
  • 「相手にコミュニケーションコストを丸投げする」ような上司に釈然としません。

    この記事で書きたいことは、ざっくり以下のようなことです。 ・「頭の悪い人がよく使う話し方」というような記事を読みました ・「情報のやり取り」という意味で、対話における聞き手と話し手の立ち位置に来差はなく、価値の高い対話は双方が協力して作り上げるものです ・それを無視して、「話し手」に一方的にコミュニケーションコストを負わせるのはあまり妥当だと思えません ・聞き手としても価値の高い対話ができるように考えたいですよね よろしくお願いします。 さて、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、あとはざっくばらんにいきましょう。 先日、こんな記事を拝読しました。 頭のいい人はそう答えない…「頭の悪い人」が会話の最初の5秒によく使う話し方 以下、一部引用します。(引用部分は無料部分のみですが、当然記事としては全文読んでおります) 質問に対して、小学生のような答えしかできない人がいる。 仕事で講演会

    「相手にコミュニケーションコストを丸投げする」ような上司に釈然としません。
    kaeru-no-tsura
    kaeru-no-tsura 2022/01/19
    そういう訊き方する相手には、答えないという選択もするようになった。自分の機嫌次第では答えてあげることもあるけど
  • 人の金で生かされている「赤字人間」に生きる価値はあるのか

    心情的な赤字です 赤字の零細企業で働く、ある人間、すなわちおれの心情というものを書きたいと思う。 赤字企業というと、「全国の企業の六割だとか七割だとかは赤字だ」とか、「節税目的であえて赤字にすることもある」などと言われそうだ。 だが、おれの言う「赤字」とは、心理的、心象的、お気持ち的な赤字のことと断っておく。 というのも、万年赤字だったわが零細企業は、親会社的なところができて、そことの関係上、数字的には黒字企業だからである。 とはいえ、親会社的なところに対しては赤字の存在であって、大赤字の存在であって、結局のところ、赤字なのである。 生殺与奪の権は親会社の社長の一存であって、その一存というのも親会社のステークホルダーによって左右され、結局のところ赤字なのだ。 赤字的個人の心情 というわけで、おれは赤字的存在である。 おれはおれの生活を成り立たせるための、十分な生産をしていない。 これが厳然

    人の金で生かされている「赤字人間」に生きる価値はあるのか
  • 発達障害には”嫁”が必要だ

    ずっと前から言語化しようしようと思っていたことを言語化する糸口がやっと見つかったので、今日はそれを書いてみよう。 どういうことかというと、「発達障害には”嫁”が必要だ」、といった内容だ。 人と喋るのが苦手な医者とかいても、愛想いい婦長が転がしてたり。 コミュニケーションの障害ある人は、自分と社会を繋いでくれる婦長さんを必死で探さないといけない時代なんですね。 https://t.co/mV1zdTuTOr — オブネコ (@nannyofcat) December 13, 2021 先日、ツイッターのタイムラインで上掲ツイートを発見した。 いまどきの医者にはコミュニケーション能力が求められてやまず、聞き取れない唸り声をあげる医者、空気や文脈の読めない医者、まともにインフォームドコンセントを進められない医者は、良くないとされている。 ところがひと昔前までは、医者自身にコミュニケーション能力が

    発達障害には”嫁”が必要だ
    kaeru-no-tsura
    kaeru-no-tsura 2021/12/24
    マネージャーでよくね? 何で嫁で語るの
  • 数学ができなかった人間の残り滓が「文系」と呼ばれるのではないか。

    高卒 インターネットで持続性のあるハンドルをもって情報を発信し続けている人は、大学卒業者以上である比率が高い。 ソースは……ない。 おれが二十年くらいネットをやってきた、電子肌感覚である。 「そんな電子肌なんてSFっぽい感覚などあてになるのか」と思うあなたは、やはり大学を出ていないだろうか? というわけで、おれは珍しいとはいかないまでも、少数派の高卒インターネット人である。 高卒が少数派なのは、たしかネットに限らずリアルな数だとしてそうだったと思う。 少し前、鳥貴族で飲んでいてそういう話題になって、おれは「まだ、大卒の方が少数派ですよ」と言って携帯端末で調べたら、違った、というのがソースだ。 そのときおれはビール的なもののアホみたいにでかいジョッキを一杯飲み干したあとだったので、正確かどうかはわからない。たしかちょっとだけ大卒の人が多かった。 したがって、ここでおれは高卒してすぐに働きに出

    数学ができなかった人間の残り滓が「文系」と呼ばれるのではないか。
    kaeru-no-tsura
    kaeru-no-tsura 2021/11/16
    “電子肌感覚” 高校時代に受けた学科適性テストでは上位3つが理系学科(生物工学地学)、4位に文学、志望の芸術は辛うじて5位。数Ⅰで即落ちこぼれたけど入試一次は数学ほぼ満点で突破したので理系文系って何だろね
  • 日本人は、いったいいつまでマスクを着け続けるのだろうか。

    第5波後の日 今、これを書いている現在、日における新型コロナウイルス感染症は第5波が落ち着いたところにある。 第5波どころか、2021年で一番落ち着いているという具合である。 第5波は、とても高い波だった。そこから考えると、あまりにも落ち着いてる。 落ち着いていて悪いことはない。当たり前の話だが。 落ち着き始めたころには、「なぜ落ち着いたのか」、「よくわからない」という専門家の記事なども多く見かけられたが、そのような記事もネット上では少なくなっているような感じだ。 なんで波が収束したのか、おそらくはいろいろの複合要因があるのだろうが、結局のところよくわからない、というのはちょっとよくない。 波を収束する手段が明確であれば、次の波への対応策も打てるだろう。 現状では、やはりワクチン接種をすすめ、手洗いなど基的な対策をして、密を避けて、ということになるだろう。 第5波が去ったのは紛れもない

    日本人は、いったいいつまでマスクを着け続けるのだろうか。
  • 「親ガチャ」につける薬はなさそうだ。

    人間は人間を知りすぎてしまった 人間は人間を知りすぎてしまったのだと思う。薬もできていないのに。 人間が人間を知りすぎた。それは主に科学的に知りすぎたということだ。 もちろん、人間は古くから人間を知ろうとしてきた。 遠い天体の動きも知ろうとしたし、目には見えない小さな生物についても知ろうとした。 もちろん、自分自身にもその興味を向けてきただけだ。 骨はどのようにつながっているのか、筋肉はどのようについているのか、内臓はどのような役割を果たしているのか……。 やがて、あるいは最初からかわからないが、とうぜん意識を司っていると考えられる脳についても知るようになる。 あるいは、遺伝というものについて、遺伝というものの子に与える影響まで知るようになる。 もちろん、研究者には、「まだ知っているだなんて言えない」と言われるだろう。 まだまだ天体についても、人体についてもわからないことだらけなのもたしか

    「親ガチャ」につける薬はなさそうだ。
    kaeru-no-tsura
    kaeru-no-tsura 2021/10/07
    黄金頭さん
  • なんでパチンコに人が群がるのかがわかって、いろいろと切なくなってしまった

    「期待値を考えればパチンコは絶対に損をする」 「それなのにパチンコなんてやってる連中は頭が悪いとしか思えない」 かつてこんな感じの言説をよく聞いた。 それを聞いて僕は「確かに」と思う一方、この手の言葉がパチンコをやっている人達に「こいつはなんもわかっちゃいねぇ」という風に全く刺さっていないようにも見えた。 「パチンコにハマる奴はただの馬鹿と切って捨ててしまうのは物事の質をみていないのではないか?」 そもそも人間は数円単位でケチをする生き物であり、少額でも損をしたら物凄く落ち込む生き物である。 そんな損が大嫌いな人間が、果たして絶対に損をするとわかっている行為にこんなにも夢中になるのだろうか… その長年の疑問に最近ようやく回答が得られた。 そして冒頭の期待値云々の話は完全に誤りであった事を理解したので、今日はその話をしよう。 スロットマシンで超簡単に”ゾーン”に入れる 「デザインされたギャ

    なんでパチンコに人が群がるのかがわかって、いろいろと切なくなってしまった
  • 中国で暮らすと「中国の景気は『路上に捨てられた便器』で判別可能」だと分かる。

    自分は中国で暮らして3年ほどになるが、日の知人にしばしば聞かれるのは「中国ってどんな国?」という極めてアバウトな問いである。 何しろやたらと巨大な国だけに、ひと言で答えるのは難しい。 しかし、あえて自分が一番伝えたい点を挙げるなら、次のようになる。 「中国とは、路上を歩いていると捨てられた便器を普通に見かける国です」 いやあなた、3年も暮らして出てくる答えがそれですかーーといった反応が返ってくることは承知している。 しかし、自分がわざわざ便器に着目するのは、それなりに理由がある。 結論から先に言うと、街歩き中にふと見かける路傍の便器から、景気動向や人々の生活水準など、さまざまなことを読み取れるからだ。 いわば中国の路上放置便器とは、日でいうタクシーの運ちゃんが語る景況感のようなもの。 かっちりとした統計ではないが参考に値する情報ソースであり、中国の経済・社会を映し出す鏡でもある。 ゆえ

    中国で暮らすと「中国の景気は『路上に捨てられた便器』で判別可能」だと分かる。
    kaeru-no-tsura
    kaeru-no-tsura 2021/09/13
    デュシャンもびっくり
  • おれはただビール片手に横浜スタジアムでオリンピックを観戦したかっただけなのに

    どうしてこうなった おれはただ、会社帰りにふらりと徒歩五分の横浜スタジアムに立ち寄って、ビール片手に「これがオリンピックいうものか」と思いながら、とくにどちらのチームを応援するわけでもなく「赤勝て、白勝て」言いたかっただけなんじゃ。 というわけで、おれは東京オリンピックのチケットを持っていた。過去形になる。 ちょっとばかりお金をケチって、紙のチケットを選ばなかったものだから、その「もの」すら持っていない。 残っているのは「Tokyo2020」からのお知らせメールのみだ。 東京オリンピックは基無観客が決定した。 抽選、再抽選ということもなく、払い戻しということになった。 無観客が決定したときは、残念という思いではなく、なにか清々した気持ちになったものだった。 が、おれはオリンピックいうものを生で見たかったからチケット購入を申し込んだのだし、見事に当選した。 日程的に日本代表は見られないにせ

    おれはただビール片手に横浜スタジアムでオリンピックを観戦したかっただけなのに
    kaeru-no-tsura
    kaeru-no-tsura 2021/07/29
    自分もビール片手に球場でやきう観たい人間だけど、この五輪はなー。自国開催に何の意義も見いだせないし、まつわる諸々がクソすぎ。あと自分が贔屓に出来るチームはせいぜい都道府県レベル
  • コンビニが田舎町にもたらした文化、そして壊した文化の話。

    先日、コンビニが街の文化を支えているお話をbooks&appsを読んだ。 老害のおれ思うに、コンビニが街の文化を支えてるんだぜ おれは街なかでコンビニを見るたびに、「ヨシッ、文化がある」と思う。 コンビニの明かりを見るたびにそう思う。 コンビニのなにが文化なのか。 それは、そこで売られているであろう新聞や雑誌についてである。 それが、おれにとっての「文化らしさ」なのだ。 筆者の黄金頭さんが書くように、確かにコンビニには「文化らしさ」がある。 新聞や雑誌以外のところに文化らしさを感じる人だっているだろう。 これに触発されて、私もコンビニの「文化らしさ」について語ってみたくなった。 私の場合は、田舎町の国道沿いでコンビニを見るたびに「ヨシッ、文化がある」と思うわけなのだけど、コンビニの明かりを心の底から肯定できない自分もいる。 そのあたりのアンビバレントな心情が誰かに届きますようにと祈りながら

    コンビニが田舎町にもたらした文化、そして壊した文化の話。
  • 老害というのは、「自分の成功体験の再現性を疑うことが出来ない人」のこと

    この記事で書きたいことは、以下のような内容です。 ・成功体験を分析すると、大きく分けて「再現可能な部分」と「再現不可能な部分」に分けられる ・前者は「自分の努力や実力でカバー可能な要素」後者は「周囲の環境や運次第で、努力や実力とは関係ない要素」と言い換えることも出来る ・部下や後輩を指導する立場の人間は、定期的に自分の成功体験をたな卸しして、再現可能/不可能を切り分けしておくべき ・「老害」とは、自分の成功体験のたな卸しが出来ず、成功体験全てを努力で勝ち取ってきたと勘違いしている人のこと ・再現不可能な成功体験に基づいた指導を部下や後輩に押し付けるのは避けた方がいいですよね よろしくお願いします。 さて、書きたいことを最初に全部書いてしまったので、後はざっくばらんにいきましょう。 以前勤めていた会社でお世話になった元上司が先日定年退職されまして、久々に電話でお話しました。 こんなご時世なの

    老害というのは、「自分の成功体験の再現性を疑うことが出来ない人」のこと
    kaeru-no-tsura
    kaeru-no-tsura 2021/05/24
    この辺りの https://note.com/tealtree/n/na0da1d4be7f7 の話とともに