甲子園ではライバルであった斎藤佑樹投手と田中将大投手は、なぜこれだけ大きな差がついたのか。スポーツライターの本條強さんは「田中は心底プロの野球選手だったが、斎藤はプロになってからもアマチュアの選手だった」という――。 斎藤佑樹と田中将大の大きな差が生まれたワケ 人生は登山に似ている。どんな山を登るか、それは人ぞれぞれだ。ひとつの人生の中にはいろいろな人生も含まれる。例えば野球人生といったものもある。 斎藤佑樹が野球人生を終える。甲子園の山の頂上を登り、東京六大学の山の天辺てっぺんを極めた。その後、プロ野球の高く険しい山を登ろうとしたが、3合目付近で挫折したまま、頂上を見ることなく下山することになった。 田中将大は2年夏の甲子園こそ山の頂きに立ったが、3年夏の甲子園決勝は斎藤と投げ合って惜しくも頂点を極められず、プロに入って日本一の座についた。その後、大リーグという世界最高峰に挑戦、天辺まで