(後編)日本史が変わる!飛鳥時代の吉備の中枢は福山(猪ノ子古墳・吉備国守墓説)。 考古学の権威であった岡山大学の故近藤義郎名誉教授が、新市町の尾市古墳を見学されたとき「おかしい・・・」と言われたことを、案内した知人に聞きました。 福山北部地域の「列島に例を見ない後期・終末期の古墳集積」に対しては、専門家は「おかしい」「異常」「わからない」と言うばかりで、今日まで「あいまいのままでよし」としてきました。このおかしな通説(常識)」の主因は、「吉備の中枢は、岡山県総社市周辺である、なければならない」とする、学者・研究者自らの呪縛によるものではなかったのか?と思うのは、私一人のみでございましょうか? この「おかしい・異常な状態」は「福山北部に吉備中枢があった」とすれば、「なるほど」「当然」「なんだ!」になるという訳です。この新説の「ベッピンさん」には、何の落度もありません。これはとてもシンプルな現
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