前記事を踏まえて木村氏の「慰安婦問題は「とりあえず謝っておけばどうにかなるだろう」から始まった----従軍慰安婦と河野談話をめぐるABC」と言う記事を見るとおかしな点がいくつも出てきます。 河野談話が出されるに至る経緯を理解するためには、1992年1月11日の「慰安所への軍関与示す資料」という表題の朝日新聞の報道にまでさかのぼらなければならない。ここで重要なのは、少なくとも論理的には「軍関与」=「強制連行」でもなければ、「軍関与」=「日本政府の責任」でもないにもかかわらず、何故にこの報道が重要視されたか、である。 それはこの報道の1カ月ほど前、当時官房長官を務めていた加藤紘一が「(慰安婦問題に対して)政府が関与したという資料は見つかっていない」という発言を行っていたからである。つまり、新資料の発見は、この加藤の発言を見事にひっくり返す形になったわけであり、だからこそ大きな衝撃を与えたのだ。