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能力とあとで読むに関するkana321のブックマーク (2)

  • 「経済学」はどうやって学ぶべきなのだろう - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    恥ずかしいことに、経済学という学問の重要性は知りつつも、体系的に学ぶことなくここまでやってきました。 もちろん、金融の仕事がメインですから、必要な知識を得るためにも、またいま起きていることがどうであるかを認識し、自分の中で整合を取るためにも、乱読に近い感じで、経済関連のは読んできました。自分で言うのもなんですけど、たぶん、そこいらの人よりは質・量共に目を通してきた、という自負はあります。 ただ、経済学というパラダイムの私の使い方は、ほかの金融屋と同じく、どちらかというと「いまこうだから、経済学的にはこのような解釈になっているのだろう」とか「こういう事情だと、経済学ではこう捉えるはずだ」というような、現実面を学識に当てはめて把握する、という方法論になってしまいます。 つまり、現実のメカニズムや数字に表れた現象ありきで、そうなった過程について経済学の雑駁な知識から敷衍して推論を立てる、という

    「経済学」はどうやって学ぶべきなのだろう - やまもといちろうBLOG(ブログ)
  • 才能なんてものはない。もしあるとすれば「続けること」以外に才能なんかない。 - かくいう私も青二才でね

    意外と言われないことだが、才能なんてものは「続けること」以外にはさほどない。足が速い・頭がいいなんてものは「調子がいい」とさほど意味が変わらない。中長期的に自分の進路を考えるならば、結局のところ「一生それに関わっていけるためにはどうしたらいいか?」という生涯現役論を考えて生きていけるかどうかに尽きる。 うまい人に限って絵やブログやスポーツをやめてしまう理由 僕が好きなマンガ「電波教師」で 「やりたいことをやるってことは苦手なことでも必要ならやらないといけないんだ」 という台詞があったが、僕もそう思う。 みんな好きだから上手くなる。終電帰りでも命懸けでブログを書き(※実話)、球が見えなくなるまで球技に打ち込み、ペンダコが痛くて仕方ないぐらいまでペンを握って漫画を書く…。そういう人種でないとそもそもうまくなんかなれない。 よく議論されるのはこの「上手くなるまで」の議論です。ここはね、「恋しなさ

    才能なんてものはない。もしあるとすれば「続けること」以外に才能なんかない。 - かくいう私も青二才でね
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