代々木がたまたまある、というぐらいならまだわかる。しかし、その近くに新宿だとか原宿、有楽町、千代田、晴海、銀座、御幸通り……と、こんなに集中してるのはどう考えても怪しい。 いったいこれはなんなのか?
代々木がたまたまある、というぐらいならまだわかる。しかし、その近くに新宿だとか原宿、有楽町、千代田、晴海、銀座、御幸通り……と、こんなに集中してるのはどう考えても怪しい。 いったいこれはなんなのか?
先週あたりからデング熱という感染症が流行している。 日本では長らく患者が発生していなかったが、先月末(2014年8月末)約70年ぶりに患者が確認されたとしてニュースになった。 しかも、数名いる患者の感染源がいずれも「代々木公園のヤブ蚊」だという。 いつも記事の撮影でおせわになっているあの代々木公園である。これは大変だ。
一般的に「日本一短い地名は?」と言われるとみなさん「津でしょ?」と思われるかもしれない。 しかし、日本一短い地名はそれだけではない。 日本一短い地名はイ、またはロ、あるいはハ、場合によってはニ。ではないかと思うのだ。 ネットで「日本一短い地名」を検索すると「千葉県旭市ロ1」が日本一短い地名という情報が出てくる。ちなみに、口(くち)ではなく、カタカナのロ(ろ)である。 千葉県の旭市や、八街市、香取市、匝瑳(そうさ)市などにはイロハ順で名付けられた、イロハ地名が点在している。 そのため、市名が漢字一文字の旭市にあるイロハ地名は、必然的に住所が短くなり「千葉県旭市ロ1」といったふうに、住所が極端に短くなるのだ。 では、三重県津市が日本一短い地名というのはウソなのか? というと、そういうわけでもない。 「地名」は「その場所を表す名前」であり、市名や住所も含むかなり大きな概念であるため、一番を決めよ
例えば、ぼくがプレアデス星団あたりからワープしてきた異星人だとして、誰かに「コロッケつくっといて」と頼まれたとしましょうか。 とうぜん、異星人だから、コロッケなんてものを知らない。見たことも聞いたこともない。 困った。コロッケとは何なのか。人に聞くわけにもいかない。じゃあ、国語辞典でコロッケを調べて、その語釈(言葉の解説)通りに作ればいいんじゃないか? そうしよう。
近年、手軽に飲めるペットボトル入りの緑茶やウーロン茶などの出現で、麦茶の「身近な飲み物」としてのポジションが、相対的に落ちてきている感じは否めない。 コンビニの売り場を見てみても麦茶はかなり肩身の狭い状態だ。 しかし、麦茶ってそんなに出来ない子だったかなぁ。 いや、もっと出来る子のはずだ。 麦茶のポテンシャルを最大限に引き出してやりたいと思う。 (西村まさゆき) ところで、麦茶ってなんだろう 麦茶の潜在性を引き出すにあたり、まず麦茶について考えてみた。 ウィキペディアによると、麦茶は茶葉を使用しないので厳密に言えば「お茶」ではないらしい。さらに麦茶は、カフェインを含まないため、妊婦や幼児の飲み物として最適なのだという。 自らを「お茶」と偽る欺瞞の裏には、妊婦や幼児への優しさが隠されいたのだ。たぶんこの原稿を書くのが1ヶ月ぐらい早ければ伊達直人に例えてたはずだ。 欺瞞に満ちた優しい飲み物・麦
しかし、献血をしたことがある人の話を聞いてみると「リラックスできる」とか「ひんやりする」(ひんやりの理由は後ほど判明します)とか「スッキリする」とか、なんだか楽しそうなことをいう人が多い。 なにその気持ちよさげな感想。合法的な手段で得られるものなんでしょうか?(合法です) でも腕に針刺すんですよ? ときいても「そんなにいうほど痛くない」という。 あー、注射こわい、こわいけど体験してみたい! アンビバレンツなこの気持ち。嫌いなのに気になる! 女子高生かおれ。 献血に対しては、そんな気持ちがはちきれんばかりにつのっていた。 話はかわって、当サイトは今年のゴールデンウィーク企画で「はじめての◯◯」というものを行った。各ライターが初めての体験をしてその様子をリポートするという趣向だ。 「じゃあ、ぼくは献血初体験してみます」 献血への畏怖と好奇心がフィフティフィフティとなっていたところに「取材」だか
店頭ボードっていまやどこにでもある。 15年ほど前にはお洒落なカフェぐらいにしかなかったが、今や業態に関係なく様々な店舗の店先にボードがある。 あの店頭ボード「伝えたいことを簡潔にまとめてわかりやすく伝える」フォーマットとして意外と使えるのではないだろうか?
観光地に行って記念写真を撮る時、ピサの斜塔を支えたり(こちら)タージ・マハルをつまんだり(こちら)した、浮かれた記念写真を撮るという文化がある。 あれ、楽しそうなのでぼくもやりたい。
京都に天使突抜(てんしつきぬけ)という地名があるらしい。 「天使」という西洋的なイメージが地名に入っているだけでも珍しいのに、さらに「突抜」とくる。動きを含んだ言葉が地名に入っているのも面白い。 これは、天使になって突き抜けるしか無い。 (西村まさゆき)
町はのぼり旗であふれている。 いちど、のぼり旗が気になってしまうと、町のそこかしこに、さまざまなのぼり旗があることに気づく。 いったいこれらののぼり旗はどのように作られているのか? このたび、そんな気になる存在「のぼり旗」の工場を見学させてもらうことができた。
「とけないチョコ、BAKE(ベイク)を手にもって、日本の熱い場所に行ってみよう!」と思った時、私は考えた。 「体感的には、東京がいちばん熱いよね…? とくに計ったことなんてないけど、東京の道ばたが、いちばん熱いんじゃないのかな…?」 とくに7月の上旬なんて、ひどかったと思う。家から外に出るのをためらうほど、もんのすんごい温度だった。サウナですか? 日焼け機能付きのサウナですよね? という強烈さだった。 そこで、他のメンバーが遠方取材に行く中、私はあえて都内を歩くことにしたのですが…。 地元駅のドラッグストアで、スプレー式の日焼け止めを購入、シュッシュとぬって、準備万端。 温度計を見たら、10時45分くらいだったのに、既に30度超えておりました。 ベイクは、もちろん、全然とけていません。本当にすごいですね、このチョコ! とりあえず何個か食べるわたくし。 禁酒してから、甘いものが大好きになって
ビックリマンシール。ロッテが発売している1個30円(当時)の「ビックリマンチョコ」の中に入っているシールのことだ。 ビックリマンチョコが大ブームとなったのは1985年。それからすでに30年近く経っているわけであり、今の20代の若者はブームになった当時のことはおろか、シールの存在さえ知らないかもしれない。 「異形のキャラクターを集めて交換する」という意味においては、今の子供たちが、ポケモンを集めて友達と交換するような感覚で、ぼくたちはビックリマンシールを集めて友達と交換していた。 アナログかデジタルかの違いでしか無い。 ところで、このビックリマンシール。言葉を改めて考えると「びっくりしてる男のシール」ということになる、つまり「ビックリ男(マン)シール」。 自分が何かにビックリしておどろいているところの写真を撮り、それをシールにすればそれはまさに「ビックリ男(マン)シール」といえるのではないだ
わかる、その気持ちはわかる。ぼくも絵日記なんて最後の日に適当にかいて出してた。 でも今、じぶんの息子にはできれば毎日日記をつけてほしいと思う。 自分の過去は棚に上げておいてこの言いよう。親とはほんとうに身勝手なものである。 しかし、口先でやれと言うだけでは、やる気のない子供の反発心をかうだけである。そこで、父親であるぼくもいっしょに絵日記をつけてみることにした。 自らが手本となり、絵日記をつける姿をみせることによって、子供のやる気を引き出そうというもくろみである。 えーと、たしか山本五十六の言葉でそんなのがあったはずだ。やってみせて、言って聞かせて褒めないと人は動かない。みたいなやつ。それだ。 「お父さんもいっしょにつけるから一ヶ月いっしょにがんばってつけてみようか?」と、太郎に声をかけてみた。
実はこのサボ、鉄道ファンの間ではけっこうな高値で取引されるコレクションアイテムである。 むかし、ちょっと欲しいな、と思ってヤフオクで検索してみたことがあるけれど、ぼくのような中途半端な鉄道好きがふざけて購入できるようなシロモノではなかったため、諦めたことがあった。 ところが地主くんは、草むらの中からこのお宝を偶然見つけたにもかかわらず「生垣の中によく分からない物が落ちていた」と一言で片付けており、全くその価値に気づいてない風であった。 しかも、記事中で「どうぞ拾いに行ってください」と言わんばかりにサボの落ちていた場所をご丁寧にマッピングしてあった。
この問題、かなり難しいと思う。正直に白状すると、ぼくはわからなくて答えを見てしまった。「にっこり笑う」と「父親」を別の言い方で考えて結び付けないと答えがでない。 答えは「江藤さん」だ。なぜかというと「えがおになると、おとうさん」だからだ。 単純な言葉遊びではあるのだけど、問題文でヒントになるような語句を使わないなど、かなり工夫してあるのがわかる。 これだけ難しいなぞなぞは、答えがわからなくて解答を見ちゃったぼくでさえ「ほーなるほどー」って思ったぐらいなので、自力で答えを見つけた時の快感はひとしおだろう、と思う。 他にもなぞなぞは色々とあるのだけど、最近のなぞなぞ本のレベルはこれで十分確認できたと思う。
今まで何回か県境にまつわる記事を書いてきた。あるときはくびれた県境を見に行ったり、またあるときはショッピングセンターの中にある県境を見に行ったりしてきた。 しかし、県境は見た目でわかるというものではなく。「県境を見に行く」というレクリエーションはだいたいにおいて「境目は見えないけれど、ここが境目だと思うとテンションがあがる!」という形而上的な興奮や感動であるため、写真などのビジュアルでは伝えにくいというジレンマを抱えている。 ※以下都県境は県境と表記します
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