式場隆三郎に関するkanan5100のブックマーク (1)

  • 式場隆三郎の病院で息子を亡くした岡村二一 - 定斎屋の藪入り

    東京タイムズ創立者で共同通信副会長などにもなった岡村二一。『岡村二一全集』(永田書房、昭和59年9月発行)全二巻がある。題字は中西悟堂、装丁は李友唯。第二巻が随筆・小説といふことになってゐる。もっとも「わが人生」「わが半生記」「小説 女の地図」、いづれも自伝的色彩が強い。 当時の哲学館、今の東洋大の学生時代に学長排斥運動で捕まり、護送車の中で江連力一郎と隣り合はせ、「もうひとあばれ」に勧誘される。 昭和20年8月12日、松村秀逸情報部長から、3日後に鈴木貫太郎総理が読む原稿の添削を依頼される。前田潔東京新聞総務局長に終戦を打ち明けると、前田が海へ行かうと言ふ。 「海へ? 何しに」 「釣だよ、艦砲射撃がこわいから、釣り舟なんか出す奴はいない、いま行ったら魚がウヨウヨしてるぜ」 戦中のことは小説仕立てにしてある。太原(書中では大原)の特務機関長、谷沢那華男が出てくる。これは谷萩那華雄のこと。

    式場隆三郎の病院で息子を亡くした岡村二一 - 定斎屋の藪入り
    kanan5100
    kanan5100 2015/04/19
    これは知らなかった。
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