「時」の考察 それは古い古い記憶である 実家の大黒柱には「SEIKO製の柱時計」が掛かっていた。 ゼンマイ式の時計であるため、5日も経つと動かなくなる。 4日目の朝、大きなネジ回しを差し込み20回程バネを巻上げ、NHKの時報に分針を合わせるのは祖父の仕事である。 まだ各人が腕時計など持てなかった時代、大黒柱の上で堂々と時を告げる柱時計は、家族全員の「司令塔」であった。 親子三世代11人の大家族は、共通の「時」を持っていた。 生活の全てが「時間」によって支配されている......と思っていた。 我々の生活の全てを支配する「時間」 これを自由に操れたら、忽ちアメコミのスーパーヒーローだ。 ところが、事もあろうに『時間は無い』などと言い出した「たわけ者」がいる。 これが「群馬のヤンキー」なら、大渇した挙句、泣くまで60進法の勉強をさせて帰すのだが・・・。 言い出しっぺが、ホーキンス博士の再来とま
