タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

歴史と音楽に関するkaos2009のブックマーク (2)

  • 「中村とうよう0点」の歴史

    ミュージック・マガジン誌での名物連載「クロス・レヴュー」を、コーナーができた1981年から1989年までそのまま収録したものです。毎月7枚のアルバムを、4人の筆者が10点満点で採点して論評するというもの。この形態はゲーム雑誌などでも見かけますが(むしろそっちのほうがいろんな意味で有名ですが)、オリジナルはこっちです。もっとも、こっちも連載開始時に「『シティロード』の真似です。ゴメン」と白状していますが。 さてクロスレヴューの名物と言えば、編集長だった中村とうようの歯に衣着せぬ評。平気で2点3点という低評価を連発し、伝家の宝刀「0点」もしょっちゅうでした。有名なところではパブリック・エネミーに2作連続0点をつけたり、トム・ウェイツに-10点などとありえない点をつけたり。せっかくなので、その0点つけられたレコードを抜き出してみましょう。なんか趣味悪いな。なおタイトル等は当時の表記に従ってます。

    「中村とうよう0点」の歴史
  • なぜ着うたフル/レコチョクは成功したのか - P2Pとかその辺のお話@はてな

    前々回のエントリからの続き。今回のお題は、なぜ着うたフルが成功したのか。ただ、着うたフルで成功しているのは、実質レコチョクなので、なぜレコチョクが成功したのか、というお話とも言える。簡潔にまとめると、着メロとか売れてもレコード会社儲からないから、レコード会社が儲かる仕組みになるように頑張ったよ、という感じになると思う、たぶん。 着うたフル以前 着うたフルの成功を考えるためには、ある程度時間を遡らないといけない。だいたい1990年代中頃の女子高生ブームと、ポケベルブーム辺りからの流れだろうか。ポケベルは直接音楽配信につながる話ではないが、若者文化にモバイル・コミュニケーション・デバイスが組み込まれていったという点で、重要なターニング・ポイントだった。ただの連絡用ツールではなく、日常のコミュニケーションツールになった。 1990年代後半になるとポケベルが衰退し、代わって携帯電話が若者文化のコア

    なぜ着うたフル/レコチョクは成功したのか - P2Pとかその辺のお話@はてな
  • 1