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言葉に関するkareobanaのブックマーク (3)

  • 二人称小説とは何か――藤野可織『爪と目』とミシェル・ビュトール『心変わり』(追記あり) - 翻訳論その他

    ※ネタバレ注意。以下の文章には藤野可織『爪と目』とミシェル・ビュトール『心変わり』の核心に触れた記述があります。 二人称小説のことが気になりだしたのは、文藝春秋九月号で藤野可織の芥川賞受賞作『爪と目』とその選評を読んだからだ。これを読んで、二人称小説ってなんだっけ?と思ってしまったのだ。 選考委員のうち島田雅彦と奥泉光がこの作品を「二人称小説」と呼んでいる。宮輝の「最近珍しい二人称で書かれていて」というのも趣旨は同じだろう。けれど『爪と目』は、ふつうに考えて二人称小説ではない。なぜなら語り手が「わたし」なのだから。けれど二人称小説と言ってしまいたい気持ちもわかる。というのも、この「わたし」の具合がふつうの一人称小説とはだいぶ違っていて、この点差し引けば、むしろふつうの(?)二人称小説に近いような気がするからだ。 『爪と目』には、ほかにもひとつ、目を引く点がある。書き出しの言葉が、へんにむ

    二人称小説とは何か――藤野可織『爪と目』とミシェル・ビュトール『心変わり』(追記あり) - 翻訳論その他
  • 肌色と言葉狩り|ケイン樹里安

    肌色の話がTwitterで話題になってました。 肌色のクレヨンなり絵具なりが、たとえば「ペールピンク」のような名前に置き換えられていくことに違和感をもつ方のツイートが発端のようです。 いわく、肌色という言葉が使えなくなるのは「言葉狩り」にほかならず、よろしくないとのことだそうです。 「日人」の肌色の「平均値」がその色なのだから、肌色のままでいいじゃないか、と。 いいじゃないか、と言われましても、多様である身体形質(肌の色)を1つに絞っている段階で特段いいことはないのですが、ここで話を終わらせず、先に進みます。 まず、「言葉狩り」って言葉を使いたがる方々が「言葉をなくしても差別はなくならない」と言いがちであることを、少し立ち止まって考えたいと思います。 この言い回しは前々から不思議だなぁと思っておりました。 仮に「言葉をなくしても差別はなくならない」のだとしても、それは別に 「あなたが多数

    肌色と言葉狩り|ケイン樹里安
  • (be report)変わりゆく言葉の性差 女性語、もう使いませんものね:朝日新聞デジタル

    「~だわ」「~わよ」といった「女性語」、みなさんは普段どれくらい使ったり接したりしているだろうか。「女らしさ」の象徴でもあった女性語は今、かなり使われなくなっていると言語学者は指摘する。その宝庫だった海外映画の字幕でも減らす動きが。一方で男性にも新たな言葉の悩みがあるとか。変わりゆく言葉の性差を考…

    (be report)変わりゆく言葉の性差 女性語、もう使いませんものね:朝日新聞デジタル
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