※ネタバレ注意。以下の文章には藤野可織『爪と目』とミシェル・ビュトール『心変わり』の核心に触れた記述があります。 二人称小説のことが気になりだしたのは、文藝春秋九月号で藤野可織の芥川賞受賞作『爪と目』とその選評を読んだからだ。これを読んで、二人称小説ってなんだっけ?と思ってしまったのだ。 選考委員のうち島田雅彦と奥泉光がこの作品を「二人称小説」と呼んでいる。宮本輝の「最近珍しい二人称で書かれていて」というのも趣旨は同じだろう。けれど『爪と目』は、ふつうに考えて二人称小説ではない。なぜなら語り手が「わたし」なのだから。けれど二人称小説と言ってしまいたい気持ちもわかる。というのも、この「わたし」の具合がふつうの一人称小説とはだいぶ違っていて、この点差し引けば、むしろふつうの(?)二人称小説に近いような気がするからだ。 『爪と目』には、ほかにもひとつ、目を引く点がある。書き出しの言葉が、へんにむ